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FRANCE 早くも覇権奪還の望みは潰えたか [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(チョキ)]
リーグ・アン  《フランソワ・ヴェルドネ記者》
リールに奪われた覇権を取り戻すべく開幕を迎えたはずが、極度の不振に喘ぎ、6節終了後には最下位に転落。現在のマルセイユにポジティブな材料は見当たらず、既に優勝の可能性はなくなったと言っても過言ではない。

開幕から6試合勝ちのない チームが優勝したケースは
6節は好調のリヨンに完敗。続くエビアン戦で初勝利を挙げたが、依然として不振から脱する気配はない。
【リーグ・アン6節に激突した二つの“オランピック”は、今シーズンここまで明暗がくっきり分かれている。
 新監督として若いレミ・ガルド(45歳)を内部昇格させるなど、ルネッサンスの真只中にあるオランピック・リヨンが、本拠地ジェルランにオランピック・ド・マルセイユを迎えたこの試合。2連勝中と波に乗るリヨン(以下OL)はマルセイユ(以下OM)を2ー0で破り、2009年10月18日以来、約2年ぶりにリーグ・アンの首位に立った。スタンディングの下方を彷徨っていた昨シーズンの同時期と比較すれば、まさに雲泥の差である。
 一方、好スタートを切ったOLとは対照的に、敗れたOMは極度の不振に喘いでいる。なにしろ6節を終えて、未だ勝ち星無し(3分け3敗)。1年前のOLに輪を掛けて酷い惨状だ。一昨シーズンのチャンピオンで、昨シーズンは2位に入った名門が最下位に沈んでいるのだから、もはやこれは“事件”と言ってもいいだろう。唯一無敗を守る首位OLとの勝ち点差は、既に11まで広がっている(編集部・注:7節では、OLがカーン相手に今シーズンの初黒星を喫し、一方のOMは、昇格チームのエビアンを下して初勝利を挙げている)
 覇権奪還を目指すOMにとって、この出だしの躓きは致命的とさえ言えるだろう。過去の統計が、それを裏付ける。現行の勝ち点制が導入されて以降、開幕から6試合未勝利だったチームが上位に食い込んだ事例は、96ー97シーズンに3位でフィニッシュしたFCナントしかないのだ。このデータに照らせば、少なくとも優勝は困難と言わざるを得ない。
 実際、既にOMのフロントは目標を下方修正し、優勝からチャンピオンズ・リーグ(以下CL)出場権へと照準を合わせ直したようだ。未だシーズンは始まったばかりであり、優勝を諦めるのは早過ぎる気がするが、それだけ状況が深刻だということだろう。
 仮に優勝はおろか、CL出場権さえも逃すような事態になれば、クラブの先行きは真っ暗になる。というのも、現在OMはこの国で開催されるEURO2016に向けて、本拠地ヴェロドロームの改修工事に着手しており、その費用として14年までに2400万ユーロ(約28億8000万円)を用意しなければならないのだ。巨額の収益をクラブにもたらすCL出場権は、そのためにも絶対不可欠なのである。
 9月13日に本選が始まったそのCLの舞台では、ギリシャのオリンピアコスを敵地で下し(1ー0)幸先のいいスタートを切ったが、しかしこの程度で、国内での失態を覆い隠せるものではない。OLに加え、リールやパリ・サンジェルマンといった他のライバルチームも軒並み順調な滑り出しを見せているだけに、尚の事OMの不甲斐なさが目立つ。
 付記すれば、OMは昨シーズンを3戦連続ドローで終えている。つまり、ブレストを下した昨シーズンの35節を最後に、リーグ・アンでは9試合も勝っていないのだ。】

破格の条件で引き留めたが その決断がここまで裏目に
破格の条件で契約を延長し、いわゆる全権を手に入れたデシャンだが、スタートで大きく躓き、今やクラブ首脳の信頼を失いつつある。
【現役時代から数え切れないほどの勝利に浴してきたディディエ・デシャン監督にとって、チームが最下位に沈む現状は耐え難い屈辱に違いない。現在OMの監督として、リーグ・アンで継続的に82試合で指揮を執っているデシャンは、ロベール・ドメルグが持つクラブレコード(87試合)を43年ぶりに塗り替えようとしている。だが、そんな名将が今、乱気流に巻き込まれ、そのど真ん中でもがき苦しんでいるのだ。09年7月の監督就任以来、デシャンがこれほど大きな危機に直面したことはない。
 実はデシャンには、この夏にOMを離れる可能性がアッタ。ASローマから届いた魅力的なオファーに、心が大きく揺らいだのだ。ローマ行きを本気で検討していたことは、OMからの契約延長の提示に対し、暫く態度を留保していたことからも明らかである。
 それでも最終的にOMに留まったのは、破格の条件を提示されたからだろう。14年まで延長したその契約の内容は、リーグ最高額の月俸25万ユーロ(約3000万円)+勝利ボーナスというもの。更に、過去2シーズンで4つのタイトルをもたらした功績を評価され、今シーズンからスポーツ面に関する全ての権限が与えられてもいる。クラブ内での発言力が増したことは、事実上のオーナーであるマルガリータ・ルイ=ドレヒュスがデシャンの要請に応じ、ジャン=クロード・ダシエ会長とゼネラルディレクターのアントワン・ヴェイラを更迭した事実からも明白だ。ダシエの後任に、監視評議会(クラブ内にある監視機関)の議長だったヴァンサン・ラブリュヌが迎えられたのも、デシャンに近しい人物だからである。
 最も、今頃クラブの上層部は、デシャンを引き留めた決断が本当に正しかったのか、懐疑的になっているだろう。覇権奪回どころか、まさかの最下位に沈んでいるのだから、それも当然だ。しかし、だからといって、おいそれとデシャンをクビに出来ない事情もある。契約を破棄すれば、900万ユーロ(約10億8000万円)もの違約金を支払わなければならないからだ。クラブの英雄を盲目的に信じたことが、ここまでは完全に裏目に出ている。

チームの空気を変えられる 強力なリーダーがいれば...
二転三転するクラブの方針に振り回されたジニャクは、稚拙なマネジメントのいわば犠牲者。すっかり意欲を失い、低調なプレーが続く。
【獲得交渉や既存戦力の処遇を巡って後手に回り、タイトルを逸する要因ともなった昨夏の反省を踏まえ、この夏のOMは迅速な動きで6人の新戦力を手に入れた。大物こそイナイが、いずれもリーグ・アンで十分の実績を持つ好タレントである。
 しかし、チームの現状を見れば、今夏の補強は失敗だったと言わざるを得ない。特に補強の目玉として、ボルドーから600万ユーロ(約7億2000万円)で獲得したアルー・ディアッラは巨大な失望を買っている。冒頭のOL戦ではあまりの不甲斐なさに、前半終了後に交代を命じられたほどだ。
 期待を裏切っているのは、この守備的MFだけではない。他の新戦力も軒並み元気がなく、ここまで誰一人として説得力のあるパフォーマンスを見せていないのだ。
 最も、今のOMは、新戦力の不出来以上に大きな問題を抱えている。数人の主力が、著しくモチベーションを低下させているのだ。中でも深刻なのが、攻撃の核であるルイス・ゴンサレスである。まったく覇気が感じられず、開幕から精彩の欠けたプレーを続けている。
 今夏のL・ゴンサレスはクラブに移籍を志願し、実際、彼のもとにはマラガなどから複数のオファーが届いていた。だがその中に、OMを納得させるだけの条件提示はなく、そのため結局、残留に落ち着いたという経緯がある。すっかり気落ちしたL・ゴンサレスは、もはやプレーする意欲を失っているようだ。
 それでもデシャンは、このアルゼンチン人司令塔を信じ、試合で使い続けている。そしてそのことが、他の選手の不満を買い、チーム内には不穏な空気が漂っている。取り分け、L・ゴンサレスの退団を前提にリクルートされたモルガン・アマルフィターノは、断続的にしか出番が与えられない現状に、爆発寸前といった様子だ。
 CFのアンドレ=ピエール・ジニャクも、見るからにフラストレーションを溜め込んでいる。5月に恥骨炎の手術を受けた25歳は、クラブからダイエットを命じられ、サマーキャンプが始まってからもミラノの療養施設にこもり、6㌔の減量に成功した。ところが、マルセイユに戻って来ると、非情にも、クラブから戦力外通告を突き付けられる。しかも、移籍期限最終日にフルアムと契約寸前までいきながら、今度は一転、クラブからマルセイユに戻るよう命じられたのだから、タマラナイ。
( ー 中 略 ー )
 こんな仕打ちを受ければ、誰だって嫌気が差すだろう。これで、クラブや監督を信頼しろという方が難しい。
 今やOMのアイドルとなったアンドレ・アユーも、気持ちにわだかまりを抱えているようだ。・・・(略)・・・。こうした不実な行為に、21歳の若者はクラブへの信用を失ってしまったのだ。
 何よりも切実なのは、チームに活を入れ、淀んだ空気を変えられる強力なリーダーの不在だろう。
( ー 中 略 ー )
 L・ゴンサレスや、キャプテンでGKのステーブ・マンダンダは性格が大人し過ぎるし、CBのスレイマン・ディアワラはリーダーの素質があるものの、肝心のパフォーマンスにムラがあり過ぎる。また、フランス代表でキャプテンを務めるA・ディアッラは、未だチームに加わったばかりで、他の選手に影響力を行使するまでには至っていない。
 下馬評では、パリ・サンジェルマンと並ぶ優勝候補に挙げられていたOMだが、リーグ開幕から1カ月半にして、早くもタイトルレースから脱落した感がある。いや、現在のチーム状態を考えれば、CL出場権の確保さえ困難と言わざるを得ない。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.20号_No.349_記事》
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GERMANY ミュラーをドイツ代表のCFに!! [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
ブンデスリーガ  《ルドガー・シュルツェ記者》
22歳でドイツ代表のレギュラーに君臨するミュラー。複数のポジションをこなす万能性を備えた彼に期待されるのは、ゴメスとクローゼ以外に頼れる存在が見当たらないCFへのコンバートだ。レーブ監督も太鼓判を押す。

難局であればあるほどに 救世主として輝ける選手だ
●5節まで無得点だったミュラーだが、チームへの貢献度は依然として特大。数字だけを論拠に彼の限界を論じるのは、無意味な作業だ。
●ミュラーが真骨頂を発揮したのが、9月6日のポーランド戦。68分には果敢な突破で相手のファウルを誘い、PKを奪う。
【5節を消化したブンデスリーガで、トーマス・ミュラーは未だ得点していない。4勝1敗で首位を走るバイエルン・ミュンヘンの総得点は16。1試合平均得点が3ゴールを超える驚異的な数字だが、得点者リストにミュラーの名前はない(編集部・注:その後、6節と7節で1ゴールずつマークした)
 ドイツ代表でも、過去7試合、つまり3月26日のカザフスタン戦で2得点を挙げたのを最後に、快音が聞かれない。FWがこれだけゴールから見放されれば、たちまちのうちに「クライシス(危機)だ!!」と大きな見出しが新聞に躍るものだ。
 だが、クライシスなどでは決してない。確かに、5ゴールを挙げて大会得点王に輝いた南アフリカ・ワールドカップでの活躍が印象的だった分、不発が続く現状に余計物足りなさを感じるかも知れないが、そうした見方は一面的であり、ミュラーの本質をまったく理解していないと言える。
 ハッキリ言おう。彼は停滞どころか、着実に進化を続けている。数字だけを論拠にこの22歳の限界を論じるのは、無意味な作業なのだ。プレーのクオリティー、勝利への貢献度を検証すれば、ミュラーの真価が見えて来る。
 代表的な例を、ここで挙げてみよう。9月6日、敵地グダニスクに乗り込んだポーランドとのフレンドリーマッチは、まさにミュラーの魅力が凝縮したゲームだった。
 既にEURO2012年の本大会出場を決めていたドイツはこの日、1.5軍のメンバーで試合に臨んだ。守護神のマヌエル・ノイアーを初め、MFのバスティアン・シュバインシュタイガー、メスト・エジル、FWのマリオ・ゴメスら主軸を遠征に帯同させず、経験の浅い若手を軸に据える布陣。試合は開始直後からドイツが圧倒した。
( ー 中 略 ー )
 ドイツ代表のヨアヒム・レーブ監督は、親善試合の敗戦に目くじらを立てて憤怒するようなタイプではない。とはいえ無抵抗のまま勝利を譲るほど、お人好しでもない。試合の流れを変えるカード、いわばジョーカー役に「ミュラー」を指名したのは、60分を過ぎた時だった。
 すると、ルーカス・ポドルスキに代わってピッチに入ったミュラーは、残りの30分で真骨頂を発揮してみせるのだ。投入から8分後だった。・・・(略)・・・。ホイッスルが鳴った。PKだ。これをトニ・クロースが冷静に沈めて、同点とする。
 ただ、試合は1ー1のままでは終わらなかった。90分、DFラインの裏に落ちたボールの処理にもたつき、その隙を相手に突かれてしまうのだ。・・・(略)・・・。ヤクブ・プラシュチコフスキに、このPKを決められてスコアは1ー2に。試合終了間際のゴールは、地元ポーランドに勝利をもたらしたも同然だった。
 魔の時間帯に決勝ゴールを決めるのは、ドイツのお家芸。いわばお株を奪われた格好だった。・・・(略)・・・。しかしながら、既に90分を回っている。再び同点に持ち込むには、あまりに難しい状況ダ。しかも親善試合である。ここから1点を取り返そうと本気で考える選手が、果たしているだろうか。だが、いたのである。それがミュラーだった。
 ロスタイムに突入してからも、ミュラーは虎視眈々とチャンスを狙っていた。「未だ勝負が決まったわけじゃない」と、冷静さを失わずに。物静かで、余り感情を表に出すタイプではないが、しかしミュラーの内面は、強烈な勝者の意識で常に溢れている。
 93分、右サイドでボールを受けたミュラーは、対峙する相手をフェイントで牽制しながらペナルティーエリア内に進入。縦に抜けようとした時だった。目の前のDFが、突然、足を滑らせ体勢を崩したのだ。その隙を、ミュラーは見逃さなかった。敵陣内の奥深くまで一気に抉り、低いセンタリングでカカウの同点弾をアシストしてみせたのである。試合終了のホイッスルが吹かれたのは、その直後。ドイツは土壇場で引き分けに持ち込んだのだ。
 この日の活躍で、ミュラーの重要性は改めて証明された。ミュラー投入の前と後では、チームの動きの幅と質が明らかに違っていた。彼ほど劣勢の状況を覆そうと知恵を絞り、それを実行できるプレーヤーはイナイ。非常時であればあるほど、救世主として燦然と輝く選手、それがミュラーなのだ。
 特定の選手を名指しで褒め称えることが殆どないレーブ監督も、ミュラーには賛辞を惜しまない。
「対戦相手は、どうすれば彼をストップできるかを思案するだろうが、簡単にアイデアなんて浮かばないだろう。結局はファウルで止めるしかなく、PKを与えてしまうのだ」】

自分がプレーしていれば... そんな悔恨の念を今でも
【ドイツ代表のサッカーは長年、「創造性に欠け、面白くない」と言われ続けてきた。だが、現在のチームはそうした固定概念を覆す史上もっとも面白味に溢れたサッカーを展開。同時にチーム内では、史上最も厳しい生存競争が繰り広げられている。2006年と10年のワールドカップはいずれも3位、EURO2008は準優勝と一定の結果も残しており、暗黒の時代に完全にピリオドを打った印象だ。
 昨年のワールドカップから1年以上が経過した現在、チームは新たな問題に直面している。それは、「優れた選手が多過ぎて、レギュラー選定が難しい」という何とも贅沢な悩みである。数十年にひとりの超新星マリオ・ゲッツェを、どのポジションでどう起用すべきか、ポドルスキをベンチに座らせていいものか、ウインガーの逸材達(アンドレ・シュールレ、マルコ・ロイス、ケビン・グロスクロイツ)の扱いは...といった具合にだ。ただ、人材がこれだけ揃っていても、ミュラーは外せない。ノイアー、エジル、シュバインシュタイガー、ゴメスと同様、代えの利かない選手である。
 まさに充実の一途を辿るドイツ代表。聞こえてくるのは、「スペインを倒す日も近い」という声だ。ミュラーにとって「スペイン」の4文字はしかし、忌々しくもあり、また落胆を連想させる単語である。
 南アフリカ・ワールドカップ準決勝での敗戦(0ー1)を、誰より引きずっているのはミュラーかも知れない。何故なら彼は、スペイン戦のピッチに立てなかったからだ。4ー0の快勝を収めた準々決勝のアルゼンチン戦で、ハンドの反則を犯してイエローカードを受けたミュラーは、サスペンションによりスペイン戦に出場する権利を失ってしまったのである。自分がプレーしていれば、結果は違っていたかも知れない___。そんな悔恨の念を、今も抱いているはずだ。

本人が希望し監督も認める 「センター」へのコンバート
期待されるのはCFへのコンバート。将来的にはゴメスの後を継げるタレントだと、レーブ監督も前向きだ。
【ミュラーのプレーは、独創的かつ効果的である。とりわけ特筆に値するのが、オフ・ザ・ボールの動き。試合中、ミュラーは誰もが想像しないポイント、誰もが注意を払わないフリーのスペースに、しばしば出没する。多くの選手、観客がボールの行方を追う中で、ミュラーだけは別のイメージを描いていて、突然、決定的な場面に顔を出すのだ。これこそがミュラー最大の武器である。細長い脚と薄っぺらな胸板は頼りなく、エレガントさに欠けるが、クールでクレバーなプレースタイルは老獪さを備え、ゲーム展開を一瞬で劇的に変化させる彼の能力は、既に世界のトップレベルにある。これで未だ22歳というから、驚くほかない。
 複数のポジションに対応する万能性も、魅力のひとつだ。代表では中盤の右サイドが主戦場だが、ただ本人は「センターでプレーするのが、一番好き」だと言う。ならばと、近い将来のコンバートを期待するのは、私だけではないだろう。ミュラーに任せたい「センター」のポジションが、ドイツ代表にはアルからだ。
 現在、1トップのレギュラーはゴメスで、2番手がクローゼ。この二人は不動の存在だ。だが、他に全幅の信頼を置けるFWが見当たらない。シュテファン・キースリンク(バイヤー・レバークーゼン)とパトリック・ヘルメス(VfLヴォルフスブルク)は、クラブでのパフォーマンスが今ひとつ。ユリアン・シーバー(VfBシュツットガルト/22歳)、リヒャルト・スクタ=パス(1FCカイザースラウテルン/21歳)、スベン・シュプロック(ホッフェンハイム/22歳)など次世代の有望株も育つには育っているが、すぐに重要な戦力として期待できるレベルには達していない。
では、ゴメスとクローゼの後を継げるのは誰でしょうか?
 この問いに、レーブ監督はあっさりとこう答えた。
ミュラー。トーマス・ミュラーだ」】 《この項・了》



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ENGLAND 不幸な結末が避けられない結婚か [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(パー)]
プレミアリーグ  《オリバー・ケイ記者》
2試合連続ゴールなど復調傾向にあるとはいえ、かつての凄みを取り戻すのは難しいだろう。後先を考えずに、勢いで一緒になったトーレスとチェルシーの“ショットガン・ウェディング”は、不幸な結末が避けられないか。

「1.56試合に1ゴール」が 「2.96試合に1ゴール」に
【フットボール界には、こんな格言がある。選手が調子を崩した際に使われるフレーズだ。
フォーム(調子や状態)は一時的なモノ。クラス(才能やクオリティーの意)は永遠のモノ
 果たして、本当だろうか。本当に、クラスは永遠のモノなのか。
 そもそも、スポーツの世界に絶対はない。どんなに素晴らしい選手でも調子の波がある。3週間、あるいは3カ月といったスパンでのスランプは、誰もが経験しているはずだ。そしてその状態が、半年、1年、あるいは2年と長期に渡ったとしたら、どうだろう。そう、フェルナンド・トーレスのように___。
 クラスは決して永遠のモノではない。もしそうなら、ロナウドも、アンドリー・シェフチェンコも、マイケル・オーウェンも、ずっとトップレベルで活躍を続けていたはずだ。怪我は、クラスを損なわせるひとつの大きな要因だ。環境も同様だ。自分に合わないチームに移籍して、本来の輝きを失った選手は少なくない。そうして自信を喪失し、坂道を転がり落ちて行くのだ。一度失われた自信を取り戻すのは、極めて難しい。この悪循環にハマり、岐路に立たされているのが、トーレスだろう。
 今から2年前、トーレスは間違いなく世界の五指に入るプレーヤーだった。リオネル・メッシ、クリスチアーノ・ロナウド、シャビ、カカと並んで、フットボール界の頂点に君臨していたはずだ。今、世界のトップ5を挙げるとすれば、こうなるだろう。メッシ、C・ロナウド、シャビまでは一緒で、4人目はアンドレス・イニエスタ、5人目は迷うところで、ダビド・ビジャか、あるいはウェイン・ルーニーか。間違いなく言えるのは、トーレスはカカと共にトップ5から外れるということだ。
 勿論、トーレスが捲土重来を果たす可能性は十分にある。この雑誌が読者の手に届く頃には、卓越したゴール感覚を取り戻し、量産態勢に入っているかも知れない。事実、プレミアリーグ5節の、マンチェスター・ユナイテッド(以下ユナイテッド)戦で今シーズンの初ゴールを決め、続くスウォンジー戦でもネットを揺らした。
 それでも、私はトーレスの完全復活には懐疑的だ。少なくともリバプール時代の凄みは取り戻せないだろう。わけても、アンフィールド(リバプールの本拠地)での最初の2シーズンの、あの素晴らしいパフォーマンスは、もう二度と見せられないだろう。
 数字には、斜陽傾向が明らかだ。2007年のリバプール加入から09年9月までの2年強の間、トーレスは92試合(うちスタメン81試合)で59ゴールを奪っている。1.56試合に1ゴールというアベレージで、ざっと3試合に2ゴールを決めていた計算だ。それが、74試合(スタメン60試合)で25ゴール、2.96試合に1ゴールと、09年10月以降、成績が急降下している。11年1月のチェルシー移籍後は、25試合で3ゴールと目も当てられない体たらくだ。
 切っ掛けは、怪我だった。スペイン代表の合宿中(09年9月)にトーレスは股関節を負傷し、そこから泥沼に入って行くのだ。】

スタイルにマッチしていた 当時のリバプールは理想郷
●無人のゴールに流し込むだけのシュートを外したトーレス。今シーズン初得点を奪ったユナイテッド戦で印象付けたのは、むしろ...。
●ジェラードやシャビ・アロンソという好パサーに恵まれ、ファンからも愛されたリバプール時代が華だった。
【前述したように、待望久しかったチェルシーでの2点目を、トーレスはユナイテッド戦で決めた。敵地オールド・トラフォードでのそのゴールは、実にトーレスらしい得点だった。・・・(略)・・・。
 それでも、復活の狼煙が上がったとは思えなかった。後半開始早々のこのファインゴールよりも、ガラ空きのゴールへのシュートを外したその後の失態が、頭から離れなかったからである。あれは信じられないミスだった。
 83分のシーンである。1点目と同様、鋭い動き出しでマーカーのフィル・ジョーンズを振り切り、ラミレスのスルーパスを呼び込むと、今度はデ・ヘアを左にかわす。後は無人のゴールに流し込むだけの超イージーシュートを、トーレスはあろうことか外したのだ。デ・ヘアをかわした際にバランスを崩し、左足でのフィニッシュは左に大きく逸れていった。
 トーレスの左足は、確かに利き足ではない。だが、それは言い訳にはならない。なりようがない。タッタ5㍍先の無人のゴールに流し込むのに、利き足も何も関係ない。詰まるところ、トーレスは不振から抜け出せてはイナイのだ。でなければ、アンナ簡単なシュートを外すわけがない。
 厄介なのは、前述した典型的な負のスパイラルに、トーレスがハマり込んでしまっていることだ。怪我でフォームを崩し、チェルシーという自分と合っていないチームを新天地に選び、そして自信を失って行った。
 彼が移籍問題で揺れていた最中に、リバプールのコンタクト(情報源)と交わしたこんな会話を思い出す。トーレスはフォームを取り戻せるだろうかという私の問い掛けに、彼はこう答えた。
「どうだろうな。メンタルとフィジカルの両側面があるけど、まず怪我が大きいな。スピードが武器の選手にとって、これは無視できない問題だよ。ただ、それよりもフェルナンドにとって大きな試練は、自信を取り戻せるかだ。最近の彼は、幸せなフットボーラーの姿には見えないしね。残留するにしても、移籍するにしても、自分の強みを活かしてくれるチームじゃないとダメだろうね。チームメイトや監督、ファンの全面的なサポートが不可欠だ」
 それから2カ月後、5000万ポンド(約70億円)という巨額と引き換えに、トーレスはリバプールからチェルシーへ移籍した。果たしてチェルシーは、コンタクトが挙げた条件を満たす新天地なのかと、私は訝(いぶか)った。
 自らのプレースタイルとの相性で言えば、リバプールはベストマッチだった。ハイテンポなフットボールはトーレスのスピードを引き立て、シャビ・アロンソ(現レアル・マドリー)やスティーブン・ジェラードからタイミング良く送られるスルーパスは、トーレスには何よりのご馳走だった。快足を活かして裏に抜けたがるストライカーにとって、当時のリバプールはまさに理想郷だったのである。
 しかも、クラブに関わる全ての人間がトーレスを絶対的なスーパースターとして扱い、リスペクトを寄せていた。ピッチではチームメイトが彼の為に汗をかき、スタンドでは忠実なサポーターが無条件の愛を注いだ。

選んではいけないチームを 選んだ自分を責めるべきだ
ランパードをスタメンから外すなど、大鉈を振るい始めたヴィラス・ボアス。トーレスにとっては朗報だ。
翻って、チェルシーではトーレスの味方になるモノが見当たらない。
 カルロ・アンチェロッティ前監督が志向していたのは、ポゼッションを重視したパスフットボールだった。しかも、ディディエ・ドログバという絶対的なエースがいれば、フランク・ランパード、ジョン・テリーという絶対的なチームリーダーがいた。
 シーズンが変わり、指揮官もアンチェロッティからアンドレ・ヴィラス・ボアスに代わったが、ポゼッションを重視した基本スタイルは変わらず、主軸も健在。トーレスの置かれた状況が改善されることはなかった。
 チェルシーでの居心地の悪さは、誰よりもトーレス自身が痛切に感じている。地元スペインのメディアとの最近のインタビューで、フラストレーションを言葉にしたのだ。
プレーがスローなんだ。何故かって、そういう選手が揃っているから。年を取って、とてもスローなプレーヤーがね。テンポが遅く、ポゼッションばかりする。それでチーム全体もスローになる。それが問題。今はその改善に努めているところだ
 越えてはいけないラインを越えた発言だろう。名指しこそしていないが、特定のチームメイトを責めているし、何よりチェルシーというチームそのものを否定する内容だからだ。ポゼッションスタイルで、彼らは数々の栄冠を手にして来たのだ。自身の不出来を棚に上げたチーム批判と受け取られても仕方ないだろう。
 トーレスが責めるべきは自分自身だ。チェルシー移籍を決断したのは誰でもない、自分自身なのだから。よりによって、最も選んではいけないチームを選んだというわけだ。
「ショットガン・ウェディング(訳者・注:娘の父親が相手の男にショットガンを突き付けて結婚を迫る、というのが原義)」という言葉があるが、私はトーレスとチェルシーの関係はまさしくショットガン・ウェディングだったと思う。後先を考えずに、勢いで一緒になったのがこの両者だったのだ。
 この結婚に再考を促す人物はいなかったのか。
 残念ながらいなかった。その当時、チェルシーの現場は完全に統制を失っていた。・・・(略)・・・。
 一方のトーレスも、移籍志願を公言したリバプールから、一刻も早く離れたいという思いでいた。
 いずれにしても、トーレスとチェルシーの結婚は不幸な結末が避けられないのではないか。トーレスがトップフォームを取り戻す可能性は皆無とは言わないまでも、チェルシーではその可能性は限りなくゼロに近いのではないだろうか。理由は、これまで述べてきた通りだ。トーレスにとって、余りにも負の条件が重なり過ぎている。あるいは、リバプールに残っていた方が、未だ復活はあり得たのではないか。ルイス・スアレスとは相性も良さそうだ。
 ここで、再び格言に戻る。「フォームは一時的なモノ、クラスは永遠のモノ」は、こう修正すべきだろう。フォームを崩せば自信を失い、クラスが損なわれる___。
 トーレスがこの新たな格言に該当していないことを願うばかりだが、仮にそうだったとしても、彼が最初の該当者というわけではない。】 《この項・了》



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SPAIN バルサの強さに疑いの余地はない [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(チョキ)]
リーガ・エスパニョーラ  《ヘスス・スアレス記者》
無敵と恐れられたバルサが、いきなり躓いた。勝利が濃厚と思われていたR・ソシエダ戦とCLのミラン戦を、ドローという不本意な結果で終えたのだ。国内メディアの間では、さっそく懐疑の声が囁かれているが...。

セスクを獲得したことで バルサは完全無欠の強さを
R・ソシエダ戦に続いてミラン戦(CL)も2ー2のドローに終わったが、セスクを加えた新生バルサの強さに疑いの余地はない。
【無敵と恐れられてシーズンを迎えた王者バルセロナ。しかし、リーガ・エスパニョーラの第3節では、格下レアル・ソシエダ相手に早速勝ち点を取りこぼし(2ー2)、チャンピオンズ・リーグの緒戦でも、ACミランにホームでドロー(2ー2)に持ち込まれている。
バルサは言われているほど強くないのではないか?
 そんな疑問を投げかける記者もいたが、私は一笑に付して言った。
君の目は節穴か? あれほど故障者を抱え、コンディションが良くないながらも引き分けに持ち込んでしまうバルサの強さに、何故気付けないんだ
 彼らの強さはもはや疑いようがない。セットプレー時の守備など、課題がまったくないわけではない。それでも、ここまで全ての公式戦で2ゴール以上を奪っているように、前線の破壊力には凄まじいモノがあるし、守備に関しても、ジェラール・ピケ、カルレス・プジョールの主力二人がコンディション不良の状態にアッタのだから、前述した二つのドローゲームも想定の範囲を出ない。
 今出ている歪みは、おそらく時間が解決するだろう。
 これまでも繰り返し書いて来たが、ジョセップ・グアルディオラ監督が率いるバルサは、今夏のセスク・ファブレガスの獲得により、完全無欠の強さを手に入れたと言っても過言ではない。
 8年のブランクをまったく感じさせず、瞬く間にチームにフィットしてみせたセスクは、ピッチ上の様々な局面に顔を出し、ペップ・バルサをさらなる高みへと押し上げている。
 とりわけ、ゴール前に飛び出す感覚は秀逸。リオネル・メッシの動きともピッタリ符合しており、リーガでは、開幕ゲームとなった2節から毎試合ゴールを決めている(編集部・注:6節は無得点に終わったが、5節まで4試合連続で計4ゴールを奪取)。周囲との連係が深まるであろう今後は、更にゴールを重ねることになるだろう。
 実際、第4節のオサスナ戦でバルサは、そのセスクとメッシの活躍により8ー0の大勝を収めた。3ー4ー3システムはほぼ完璧に機能し、ボール支配率が前・後半ともに80㌫を超えるという驚異的な強さを見せつけた。プジョールが復帰して最終ラインから不安が取り除かれたことが、前線の選手の躍動に繋がったとも言えなくないが、これでも未だ、ピケ、アンドレス・イニエスタ、アレクシス・サンチェスの主力3人を怪我で欠いていたのだから恐ろしい限りだ。
 R・ソシエダとミランがドローという結果を得られたのは、最悪の状態のバルサを相手にするという僥倖(ぎょうこう)に巡り合えたからで、後者は旧石器時代に戻ったかのようなカテナッチョで勝ち点1を拾ったに過ぎない。
 ペップ・バルサは今後、更に手が付けられない存在になって行くだろう。】

モウがプレーを創ることの 大切さを思い出せれば...
カウンター主体のマドリーの戦い方には限界が。シャビ・アロンソらの創造性を上手く引き出せれば、バルサにも対抗できるはずだが。
さて、宿敵バルサを王位から引きずり下ろそうと必死になっているレアル・マドリーだが、現時点でその可能性は乏しいと言わざるを得ない。
 就任2年目を迎えたジョゼ・モウリーニョ監督のチームは、組織の完成度こそ高まったとはいえ、基本的には昨シーズンから何も変わっていない。肝心の攻撃は未だ単調なままだ。
 自慢の手堅い守備と効率性の高いカウンターによって息の根を止められるのは、おそらく中小クラブだけ。今のバルサには到底通用しないだろう。
 プレーヤー達の創造性を、信じようとも引き出そうともしないモウリーニョは、自らチームの可能性を狭めてしまっている。
 そもそも、何故彼はエステバン・グラネロやカカをシャビ・アロンソのパートナーとして起用しないのか。彼らが中盤に加わり、組み立ての起点となれる選手が増えれば、シャビ・アロンソの正確無比のパスは更に効果的になるはずなのだが...。
 ご存知のように、マドリーのアタッキングラインには、クリスチアーノ・ロナウド、アンヘル・ディ・マリア、カリム・ベンゼマ、ゴンサロ・イグアインなど決定力の高い選手が揃っている。指揮官はリスクを避けて効率性を重んじ、シャビ・アロンソのロングキックから高速カウンターを仕掛けるスタイルを奨励しているが、このバスク人MFのパスが封じられるとたちまち手詰まりになってしまうのが、今のマドリーの実情なのだ。
 中盤でゲームを創る___。そうした概念を、このポルトガル人指揮官は微塵も持っていない。それゆえに、司令塔シャビ・アロンソにもショートパスをベースとした組み立ては求めず、ファビオ・コエントランやサミ・ケディラのように、フィジカルに優れ、守備力の高い選手をこの司令塔のパートナーに起用しているのだ。
 モウリーニョが一流の戦術家で、優れた人心掌握術の持ち主であるのは疑いようのない事実である。だが、選手の創造性を引き出し、膨らませる能力に関しては、完全に欠落していると言っていいだろう。ファンタジスタのメスト・エジルが本来の実力を出し切れずにいるのもそのためだ。今シーズンから10番を背負う天才レフティーは、ボールを持てば高い確率でチャンスを作り出すものの、どこか窮屈そうにプレーしている。
 ベンゼマも、私の目には違和感を感じながらプレーしているように映る。・・・(略)・・・。
 相手を強引に力でねじ伏せようとするため、シュート数が凄まじく多いのも今シーズンのマドリーの特徴のひとつだが、それでもゴールの数ではバルサに遠く及ばない(編集部・注:6節までの5試合を消化した時点で、総ゴール数はバルサが22、マドリーが16)。
 今からでも遅くはない。モウリーニョは原点に戻り、「プレーを創ること」の大切さを思い出すべきだ。グラネロ、エジル、カカ、ベンゼマ、そしてシャビ・アロンソの力を存分に引き出せれば、バルサとも互角以上の戦いができるはずなのだから。】

ひとつの時代の終焉を 印象付けたビジャレアル
カソルラの抜けた中盤を立て直せず、ホームでバイエルンに完敗を喫したビジャレアル。ロッシも前線で孤立するシーンが目立ち...。
【チャンピオンズ・リーグに参戦している2強以外のクラブ、バレンシアとビジャレアルは、残念ながら、いずれも緒戦を勝利で飾れなかった。前者はアウェーでベルギーのゲンクに引き分け(0ー0)、後者はホームでバイエルン・ミュンヘンに0ー2の完敗を喫している。
 最も、攻撃陣が思ったように機能せずに苦しんだバレンシアには、収穫もアッタ。DFラインの新たな柱として期待され、この夏に加入したフランス代表CBのアディル・ラミが、攻守両面で抜群の存在感を放っていたのだ。高度な守備戦術を操るウナイ・エメリ監督の下、今後も順調に成長できれば、将来的にヨーロッパを代表するCBと成る可能性は低くない。
 一方で、ひとつの時代の終焉を印象付けたのがビジャレアルだ。やはり、生え抜きのMF、サンティ・カソルラの退団(マラガに移籍)は、チームにとってとてつもなく大きな損失だった。ジュゼッペ・ロッシやニウマールなど、前線には今も有能なアタッカーが揃うが、中盤でパスが回らず、チャンスを作り出せないのでは宝の持ち腐れ。新加入のMFジョナサン・デ・グズマンは、昨シーズンのマジョルカで、ミカエル・ラウドルップ監督が好んで起用しただけあり、好感の持てる選手だが、カソルラの代役は荷が重い。
( ー 中 略 ー )
 ビジャレアルのファン・カルロス・ガリードは若く野心的な指揮官だが、監督経験が浅いだけに、低迷するチームを掌握し、軌道修正するだけの指導力がアルかは甚だ疑問。選手達の士気がこれ以上落ちれば、最悪の事態も考えられるだろう。
 ヨーロッパリーグでもセビージャが既に予選敗退を喫していることから、「リーガは既に世界最高峰リーグとは呼べない」という声もある。そもそも、数百万ユーロもの給料未払い問題がトップリーグで発生するなど言語道断。このままではリーガは衰退の一途を辿ることになるだろう。
 スペイン代表がヨーロッパ王者、世界王者に輝いたのは大変喜ばしいことだが、しかし、それでも安穏(あんのん)とはしていられない。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.20号_No.349_記事》
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ITALY 瀕死の元王者が迷い込んだ袋小路 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
セリエA(アー)  《ジャンカルロ・パドバン記者》
短命政権に終わったガスペリーニは、どこで道を誤ったのか。後任のラニエリは瀕死のチームに、どんな蘇生術を施したのか。開幕から躓いたインテルの謎を解き明かす。袋小路に迷い込んだのは、いつからなのか...。

ベテラン組を全面的に信頼 ラニエリの影響力は十分に
●就任からの1週間足らずで貴重な二つの勝利に導いたラニエリ新監督。救援のスペシャリストが施した蘇生術とは...。
●最後は3バックとともに沈んだガスペリーニ。チーム随一の得点力を誇るパッツィーニを半ば干すなど不可解な用兵も。
インテル・ミラノの新監督に就任したクラウディオ・ラニエリは、ジョゼ・モウリーニョと丁々発止やり合った過去を持つ。2010年の夏にインテルを退団したモウリーニョは、その後もこのクラブに影響を及ぼして来た。自らの後任となったラファエル・ベニテスが指揮官の座を追われると、レオナルドの監督就任を進言し、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの今夏の招聘にも好意的だった。その点、幾度となく舌戦を繰り広げたラニエリは、未だに“敵”であるはずだ。今回の一件がインテルとモウリーニョの決別を意味するのか、興味深い。
 それはさておき、監督交代の“初期効果”はポジティブなモノだった。ラニエリの就任から1週間足らずでインテルは2連勝を飾っており、どちらも敵地での勝利である。・・・(略)・・・。ガスペリーニに半ば干されていたジャンパオロ・パッツィーニが、2試合続けてゴールを決めたのも偶然ではないだろう。
( ー 中 略 ー )
 開幕からの公式戦5試合(8月6日のイタリア・スーパーカップを含む)で勝ち星が一つもなかったインテルが、この連勝で完全に立ち直ったと判断するのは早計だろう。緊張の糸を突然切らし、詰まらない失点を喫する傾向に変化はない。ボローニャでもモスクワでも、先に得点しながら一旦は同点とされている。
( ー 中 略 ー )
 ラニエリはよくぞこれだけ短い時間で、期待されていた全てとは言わないまでも、かなりの仕事を果たしたと言っていい。第一には、最終ラインをガスペリーニ監督時代の3バックから昨シーズンまでの4バックに戻し、4ー3ー1ー2に切り替えた。選手達の資質と能力のよりマッチしたシステムだ。ラニエリはこの最初のアプローチで選手達の同意と共感を勝ち取り、インテルはより堅固で安定した布陣を取り戻した。
 第二の仕事は、ベテラン組に全面的な信頼を与えたことだ。戦術的な必然性もアッタのだろうが、それ以上にチームを掌握するうえで好都合だったからに違いない。ロッカールームで大きな発言力を持つ“彼ら”を味方に付け、ラニエリはチームに十分の影響力を及ぼしうる立場を手に入れた。ちなみにガスペリーニ時代の彼らは、詳しくは後述するが、監督に100㌫協力的だったとは言い難い。
 ラニエリが果たした第三の仕事は、選手達の自覚を促したことだろう。ガスペリーニが去った今となっては、結果を出せない責任を誰にも転嫁できないのだと。

素人じみた気紛れではない モラッティの戦術変更要求
インテルが最後までスクデットを争い、あるいはヨーロッパの覇権を目指すうえで足りないのは、私に言わせれば中盤の選手層だ。その影響が出てくるのは、シーズンが深まってからだろう。とはいえ、事態が好転しているのは間違いなく、ラニエリの監督就任でシーズンの展望自体が少なからず変化した。ほんの1週間ほど前までは、深刻な失敗が目に見えていたというのにだ。
( ー 中 略 ー )
 ラニエリが危機的な状況に陥ったチームを救い出す、途中就任のスペシャリストなのは間違いない。09ー10シーズンは開幕2連敗でASローマの監督を辞任したルチアーノ・スパレッティ(現ゼニト・サンクトペテルブルク)の後を継ぐと、その8カ月後、最終節の前半45分間を終えた時点ではスクデットに王手を掛けていた。栄冠に手が届かなかったのは、ディエゴ・ミリートがシエナ戦の後半にゴールを決め、首位で最終節を迎えていたインテルに逃げ切られたからだった。
( ー 中 略 ー )
 誤解を避けるために付け加えれば、選手達がわざとガスペリーニを解任に追い込もうとしたわけではない。積極的に支持しようとしたり、肩を持とうとはしなかったとうことだ。要求された仕事はきちんとこなしていたが、そこには熱意も納得もなかっただろう。むしろ疑問を抱き、監督が誰であろうと、インテルはかくあるべしという信念に囚われていたように、私には見えた。
 ガスペリーニがその権威を失ったのは、就任からこだわり続けて来た3バックを一旦引っ込め、4バックでCLのトラブゾンスポル戦に臨んだ時だ。マッシモ・モラッティ会長の要求に応じての、システム変更だったと伝えられている。
 実を言えばモラッティの要求は、彼自身の素人じみた気紛れによるものではない。チームの中核を担うグループ・・・そのほぼ全員がアルゼンチン人だ・・・の意見を聞いた上での変更要求だった。
 映像に残されたエステバン・カンビアッソの振る舞いは、どんな空気がチームを支配していたかを象徴的に物語る。ガスペリーニにとっては最後の試合となったノバーラ戦(セリエA4節)の途中で、CBのアンドレア・ラノッキアにこう伝えるカンビアッソの姿をTVカメラが捉えていた。
「4バックで守るぞ。責任は俺達が取る」
 私が思い出したのは、ある伝説だ。1960年代にセリエAを三度制した“グランデ・インテル”で主将を務めたアルマンド・ピッキは、チームメイトに言い含めていたという。監督ではなく、自分の言うことを聞くようにと。当時インテルを率いていたのは、名将エレニオ・エレーラだった。

勝てなかった時代に逆戻り 否めないのはそんな印象だ
モラッティこそ、迷走を招いている張本人との説が。強化責任者のブランカTDとは見解の相違もあるようだ。
モウリーニョがインテルに残したのは、巨大な空白だ。その空白を埋めようとする人事で、インテルの内部は二つに割れていた。取り敢えず“つなぎの監督”で様子を見ようと考えたのがモラッティだった。バルセロナからジョセップ・グアルディオラを招聘するのが、この会長の夢だろう。
( ー 中 略 ー )
 今夏の監督選定作業では、6番目の候補者に過ぎなかったガスペリーニをブランカが推している。どうやらこのテクニカルディレクターは、3ー4ー3というシステムと現在のインテルの相性の良し悪しを楽観し過ぎていたのだろう。事実、夏の補強はガスペリーニの必要も要望も満たしていない。サミュエル・エトーの売却とヴェスレイ・スナイデルの残留がその象徴だ。ガスペリーニにとってはエトーを残し、スナイデルを売った方がはるかに良かったに違いない。
( ー 中 略 ー )
 1995年のモラッティの会長就任から数えて、ラニエリは17人目の監督だ。モウリーニョが去ってからのこの1年余りでは、4人目となる。一連の経緯から否めないのは、勝てなかった時代のインテルに逆戻りしている印象だ。優柔不断で、迷走を繰り返すインテル。それはモウリーニョが去り、全ての意思決定権がモラッティの手中に戻ってからの現象なのだ。
 僅か1年余りで3人の監督が“燃やされ”、手にしたのはさほど重要ではないタイトルだけだ。私に言わせればCLグループステージ1節でのトラブゾンスポル戦の敗戦は、恥ずべきモノだった。スウェーデンのヘルシンボリに屈し、グループステージにも進めなかった2000ー01シーズンの敗北にも匹敵する。トラブゾンスポルの本選出場が可能となったのは、八百長疑惑のフェネルバフチェが出場権を剥奪されたからなのだ。
 事実、サン・シーロで見たトラブゾンスポルのサッカーは、何の変哲もないモノだった。決勝ゴールを決めたのは、一昨シーズンのパレルモで僅か13分しか出場機会が与えられなかったオンドジェイ・チェルシュトカ。いわばセリエAの落第生である。
 ガスペリーニの大きな分岐点となったのが、モラッティの要求通りに4バックに切り替え、チームのコントロールを失ったこのCLの一戦だった。今シーズンの早くも4敗目を喫し、解任の決定打となったノバーラ戦は、既に迷い込んでいた袋小路の終着点に過ぎなかったのだ。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.20号_No.349_記事》
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BRASIL 輝きを取り戻したロナウジーニョ [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(パー)]
カンピオナット  《ロドリゴ・ブエノ記者》
ヨーロッパでの挑戦を終え、母国に帰国したロナウジーニョが輝きを取り戻している。フラメンゴでまさに奮迅の活躍を披露し、ブラジル代表にも約10カ月ぶりの復帰。あの屈託のない笑顔が、再びピッチではじけている___。

「もう終わった選手」という 見方を良い意味で裏切った
【ノベーラ(甘ったるいメロドラマ)と揶揄された国内4クラブとの緩慢にして冗長な交渉の末、今年1月10日にロナウジーニョがフラメンゴ入団を発表した時、フラメンゴ寄りのメディアとフラメンギスタ(フラメンゴ・ファン)を除く殆どの人間が、この希代のクラッキのコンディションについて懐疑的だった。
 本人は「2014年ワールドカップの出場を目指す」と前歯を剥き出しにして笑っていたが、「もう終わった選手」、「セレソン復帰は困難」という見方が少なくなかった。自他共に認めるブラジルサッカー界のご意見番であるマリオ・ザガロ(元ブラジル代表監督)も、「近年のプレーを見る限り、ロナウジーニョのセレソン復帰はないだろう」とバッサリ切り捨てていた。
 また、ロナウジーニョが自らの出身クラブであるグレミオを二度までも裏切った事実が、人間としての印象を悪くしてもいた(編集部・注:一度目は01年。グレミオからの契約延長オファーに煮え切らない態度を取りながら、内密にパリ・サンジェルマンと仮契約を結び、結果的に不当に低い移籍金で退団した。二度目は今年1月。本人は「愛するグレミオに行きたい」と明言しながら、より年俸の高いフラメンゴに入団した)
 そうした感情論は別にしても、これまでヨーロッパで過ごした約10年間、各地でナイトライフを謳歌して来た男は、「シダージ・マラビリョーザ(魅惑の街)」と呼ばれるリオデジャネイロの純白のビーチ、心浮き立つサンバ、甘美なアルコール、官能的な美女などに耽溺(たんでき)し、活力を吸い取られてサッカーどころではなくなるだろう。そんな声が大半を占めており、この点は代理人を務める兄アシスも危惧していた。
 かくいう私も、遅かれ早かれ、フラメンゴがロナウジーニョの選手キャリアの墓場となると予想していた。
 しかし、このコラムを書いている9月上旬の時点で、ロナウジーニョはこれらのネガティブな予想を良い意味で裏切り続けている。ACミラン時代晩年の無気力で自信なさげなロナウジーニョとは、まったくの別人。嬉々として、自信たっぷりにプレーしているのだ。

適度に気晴らしをしながら 生活の中心にはサッカーが
●最優秀FWに選出される活躍を披露し、フラメンゴをリオ州選手権優勝に導く。進行中の全国選手権でも、得点ランクの2位につける。
●美女と一緒に大好きなサンバを踊り、カーニバルを堪能。ただ、これまでのところ、サッカーに悪影響が及ぶほど遊び呆けてはいない。
【ロナウジーニョがフラメンゴでデビューしたのは2月1日、リオ州選手権第5節のノーバ・イグアス戦。スタンドには、このスーパースターを一目見ようと4万2000人の観衆が詰めかけた。懸念されたフィジカルコンディションもまずまずで、左腕にキャプテンマークを巻き、背番号10を付けて前半はトップ下、後半は2列目に左サイドでプレーしたデントゥッソ(巨大な歯の意味で、ロナウジーニョの愛称)に、ファンは大歓声を送った。
 次節のボアビスタ戦で直接FKを沈めてフラメンゴでの初得点を記録すると、以後、徐々に調子を上げていった。
 今やフラメンゴの選手は、ボールを持つと誰もがまず、ロナウジーニョを探す。殆ど全ての攻撃が、デントゥッソを経由するのだ。ボールを受けたロナウジーニョは、中盤では少ないタッチでシンプルに捌き、崩しとフィニッシュの局面では得意のまたぎフェイントを連発して縦への突破を図れば、更にスルーパスを駆使して決定機を作り出す。自ら積極的にシュートを放つシーンも、少なくない。
 また、左右のCK、間接・直接に関わらず敵陣で得たFKの殆どを任されている。つまり、フラメンゴの攻撃を取り仕切る特別な存在となっているのだ。中心選手としての自覚からか、守備面でもそれなりに貢献する。
 リオ州選手権では、13試合に出場して4得点・1アシスト。フラメンゴは無敗のまま戴冠し、キャプテンとして移籍後初の優勝カップを掲げた。
( ー 中 略 ー )
 その後のフラメンゴは、好調ロナウジーニョを中心に連勝街道を突っ走る。圧巻だったのが、7月27日のサントス戦(12節)。ネイマールとの新旧ファンタジスタ対決として注目を集めたこの試合では、25分の時点でサントスが3ー0の大量リードを奪う。しかし、フラメンゴは28分にロナウジーニョが右からのクロスを押し込むと、更にチアゴ・ネーベスとデイビッジが1点ずつ挙げて前半だけで同点に。・・・(略)・・・。
( ー 中 略 ー )
 8月31日のアバイ戦(20節)では、左CKを鋭いカーブを掛けて直接ニアサイドの上にねじ込むゴール・オリンピコ(訳者・注:「オリンピック・ゴール」の意味。1924年にアルゼンチン代表が、パリ五輪で優勝した直後のウルグアイ代表を招いて親善試合を戦った際、アルゼンチンの選手がCKを直接決めたことから、南米ではそう呼ばれる)。技術と創造性の素晴らしさを改めてアピールした。
 9月3日の21節終了現在で、ロナウジーニョは18試合出場で12得点・7アシストとまさに獅子奮迅の成績。得点ランクは現在2位で、1試合平均で0.66。全盛期のバルセロナ時代(03〜08年)ですら、リーガ・エスパニョーラでは145試合で70得点(1試合平均で0.48)。それを遥かに凌ぐキャリア最高の数字である。
 総合的なプレー内容では、バルセロナ時代のロナウジーニョに戻ったとまでは言わないが、全盛期の80㌫程度の水準には達しているだろう。
 好調の最大の要因は、入団からデビューする3週間の間に真面目に取り組んだフィジカルトレーニング。身体のキレは上々だ。キャプテンと攻撃の中心という重責を託されて生まれた、精神的な張りも見逃せない。
 結果を出してチームメイト、ファンから信頼を勝ち得て、喪失気味だった自信も回復しているようだ。ロナウジーニョは、チームの主役に君臨して始めて能力を発揮するタイプ。脇役や途中出場では、コンディションもモチベーションも保てない。その点で、現在の精神的コンディションは万全だ。
 とはいえ、過去にあれだけ夜遊びを繰り返して来た男が、突然、神父や修道士のように品行方正な生活を送れるわけがない。
 3月上旬のカーニバル期間中には、エスコーラ・デ・サンバ(サンバチーム)のパレードで連日連夜踊り明かしたり、6月には歌手で女優の混血美女との交際が報じられたりと。相変わらず自由奔放だ。
 ただ、カーニバル直後の練習にはきちんと参加して次の試合にも先発フル出場しているし、インテル・ミラノ時代のアドリアーノ(現コリンチャンス)のようにアルコール中毒になったり、練習をサボったりもしていない。
 この点ではプロフェッショナルであり、適度に気晴らしをしながら、あくまでもサッカー中心の生活を送っているようだ。少なくともこれまでのところは、だが。

セレソンに定着するには 人間的な成熟が欠かせない
10番を背負ったガーナ選では、巧みなパスで攻撃陣をリード。リーダーシップを発揮できれば、セレソン定着も。
フラメンゴでの活躍が認められ、誰もが「不可能だ」と語っていたセレソン復帰も果たしている。9月5日にガーナ代表との親善試合を戦うメンバーの一員に選出されたのだ。昨年11月17日のアルゼンチン戦(先発したが精彩を欠き、後半途中でベンチに下げられた)以来、約10カ月ぶりの招集である。
 マノ・メネゼス監督は、招集の理由をこう語った。
「クラブでコンスタントに出場し、良いパフォーマンスを見せている点を評価した。チームリーダーのひとりとして、若手を引っ張て貰いたい」
 ロナウジーニョ本人は、
「セレソンに復帰できて、とても興奮している。自分がいることで、若い選手へのメディアや国民からのプレッシャーを少しでも軽減してやりたい」
 と指揮官の意を酌む“大人の発言”をしていた。
 ロナウジーニョの復帰には、現在のチーム事情にも大きく関係している。今夏のコパ・アメリカではネイマール、ガンソ、アレッシャンドレ・パット、ルーカスら期待の若手攻撃陣が実力を十分に発揮できず、チームを機能させるには、経験豊富なベテランの存在が不可欠だと痛感させられた。
 ただ、カカは未だ本調子ではない。また、メネゼス政権下でレギュラーを務めるロビーニョも、故障で今回の招集が見送られた。そんな中、フラメンゴで好調を維持するロナウジーニョにお呼びが掛かったというわけだ。
 英国のロンドンで開催されたガーナ戦でロナウジーニョは、4ー2ー3ー1の2列目左サイドで先発した。
( ー 中 略 ー )
 ロナウジーニョのプレーには、メネゼス監督も好印象を抱いたようだ。
「彼に求めるのは決定的な場面を作ること。期待通りの仕事をしてくれた」
 当の本人も、笑顔を弾ませた。
「初めての選手とも違和感なくプレーできた。楽しかったよ。まずは来年のロンドン・オリンピックにオーバーエージ枠での参加を目指し、それから2014年ワールドカップを狙いたい」
 ガーナ戦の直後には、メネゼス監督が9月14日と28日に行なわれるアルゼンチン代表との親善試合のメンバーを発表。国際Aマッチデーではないため、国内組のみの招集となるが、ロナウジーニョはこれにも食い込んだ。ガーナ戦の出来を考えれば、仮に欧州組が招集できても選出されていたに違いない。
 ブラジル国民にとって、また世界中のサッカーファンにとっても、笑顔を取り戻したロナウジーニョの自由奔放なプレーを見られるのは、大きな喜びだろう。それはセレソンの若手にとっても同じ。今をときめくネイマールも、
「ロナウジーニョは僕のアイドル。一緒にプレーできて本当に幸せだよ」
 と興奮と喜びを隠さない。
( ー 中 略 ー )
 仮にベンチに置く場合、それがチームにネガティブな影響を与えないとも言い切れない。メネゼス監督の判断次第だが、現時点では難しいだろう。
 今後、ロナウジーニョがセレソンで居場所を確保し続けるには、最低でも現在のプレーレベルを保ち、更にベテランとして、チームリーダーとして若手に好影響を与えるタスクが求められる。CBのルッシオがプレーだけでなく、強烈なリーダーシップを発揮して守備陣を統率し、チームに不可欠な存在となっているように。
 ロナウジーニョがロンドン五輪、更には自国開催の14年ワールドカップのピッチに立つには、プレーレベルは勿論、人間的な成熟も重要なポイントとなるだろう。】 《この項・了》



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FRANCE 現実路線に舵を切った悩めるOL [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(チョキ)]
リーグ・アン  《フランソワ・ヴェルドネ記者》
3シーズン連続で無冠に終わったOL(リヨン)が、沈滞ムードを打破すべく従来の方針を改め、現実路線を歩み始めた。暫くは苦しい時間が続くだろうが、かつての栄華を取り戻すには、それが最善策かも知れない。

3部から加入の若きCBが 本選出場権と巨額の収益を
CLプレーオフで救世主となったのが無名の新戦力コネ。本選出場と巨額の報奨金を保証する特大の一撃を沈めた。
【チャンピオンズ・リーグ(以下CL)の本選出場を賭けたプレーオフで、リヨンはロシアのルビン・カザンと対戦した。その第2レグで、ある若いCBがドデカイ仕事をやってのけ、一躍脚光を浴びた。彼の名は、バカリ・コネ。8月中旬に、ナショナル(3部)のギャンガンからやって来たブルキナファソ出身の23歳だ。この時点で、リヨンが今夏に獲得した唯一の新戦力だった若者は、クラブが自分に投資した200万ユーロ(約2億4000万円)をタッタ1試合で完済したばかりか、その額を遥かに上回る収益をリヨンに保証したのである。
 ホームでの第1レグを3ー1でモノにし、アドバンテージを持ってロシアに乗り込んだりヨンは、この第2レグの77分に先制され、もう1点奪われればアウェーゴールの差で敗退へという状況に直面していた。そんな冷や冷やする展開の中、無名の若きCBが87分にヘッドを叩き込み、沈滞ムードを打ち破ったのだ。この値千金のゴールにより、リヨンは本選出場を決めるとともに、UEFAからおよそ2000万ユーロ(約24億円)の出場手当てを受け取ることとなった。
 リヨンがCL本選に出場するのは、これで12シーズン連続。この記録を上回るのは、同じく16シーズン連続出場を決めているマンチェスター・ユナイテッド、同15シーズンのレアル・マドリー、同14シーズンのアーセナルと、たった3チームしかない。取り沙汰される機会はそれほど多くないが、胸を張れる記録だろう。
 本選出場の切符を掴んだことで、リヨンは面目と威厳を保つことが出来た。しかし、それ以上に大きいのが、巨額の収入を確保できたことだろう。現在、クラブの財政は逼迫した状態にあり、喉から手が出るほどカネを必要としているからだ。
 リヨンはCL出場の報奨金として、2003年から10年までの8年間に、UEFAから合わせて1億6800万ユーロ(約201億6000万円)を受け取っている。1年平均に均すと、2100万ユーロ(約25億2000万円)である。この巨額の収入が途絶えれば、それこそクラブの経営が成り立たなくなる恐れさえアッタ。ジャン=ミシェル・オラス会長は、ホッと胸を撫で下ろしていることだろう。

太陽に近付き過ぎたために 自らの翼を焼失して...
オラスは厳しい現実を前にこれまでの方針を改め、長期的展望に立った堅実路線へと舵を切った。この決断が実を結ぶ日は訪れるのか。
【最も、オラスは覚悟していたはずだ。この夏に、かつてないほど厳しい現実に直面するであろうことを。財政面を初め、憂慮すべき問題が山積していたからだ。
 まず真っ先にカタをつける必要がアッタのが、クロード・ピュエル前監督の契約問題だった。08年夏に交わしたピュエルとの契約を、1年残したまま破棄する決断を下したはいいが、これにピュエルが猛反発。双方とも主張を譲らなかったため示談は成立せず、前監督は裁判所に不当解雇を訴え、500万ユーロ(約6億円)の賠償請求を行なったのだった。
 この破格の請求額を聞いたオラスは、その場で飛び上がらんばかりに激昂したという。要求ばかりを口にし、一向に結果が伴わないピュエルのことを、オラスはずいぶんと前から腹に据えかねていた。そこに来て、この破格の賠償請求だ。怒り心頭に発したもの無理はない。
 だが、オラスにとって何よりも耐え難かったのは、あれだけ栄華を誇っていた自分のクラブが、ライバル達に次々と追い抜かれていくという現実ではなかったか。つい数年前までリヨンは、国内には目もくれず、ヨーロッパ中を旅しては、自分よりも裕福で強大なチームを見つけ出し、挑戦状を叩き付けていたモノだ。しかし、そんな時代は今や昔。現在は国内での地位さえ揺らぎ始め、実際、オイルマネーをバックに生まれ変わったパリ・サンジェルマン、マルセイユ、更にはリールにまで先を行かれている有り様だ。
 07ー08シーズン以来、タイトルから見放されているリヨンは、もはや“それなりのクラブ”に成り下がった感がある。国内のあらゆる敵を呑み込み、リーグ・アンを牛耳っていたアノ食人鬼の姿は、もうどこにもない。バルセロナやR・マドリー、マンチェスター・U、ACミランといったメガクラブにも負けない輝きを得ようと、余りにも太陽に近付き過ぎたため、リヨンは自分の翼を焼失してしまったのだ。
 既述した財政難を招いたのも、身の丈を超える投資を繰り返したツケである。3年に渡るピュエル政権時代の無謀な補強政策により、それまで健全経営を続けていたクラブの財政が赤字に転じたのだ。しかもソノ間、手に入れたタイトルはゼロ。オラスのやり切れない思いは容易に察しがつく。
 財政立て直しのため、この夏には主力選手を他のクラブに売却する必要性にも迫られた。
( ー 中 略 ー )
 もはやリヨンは、かつてのように移籍マーケットを賑わせるようなクラブではない。今やフランス市場に於いてでさえ、影が薄くなっている。8月6日のリーグ・アン開幕戦はニース相手に1ー0の勝利を収めたが、シーズンが幕を開けた時点で新加入選手がひとりもイナイなどということは、オラスがクラブの実権を握った87年以来、初めてのことである。
 ようやく8月下旬になって、コネに続きセビージャからサイドバックのムアマドゥ・ダボを獲得し、更に移籍期限最終日にはフランスUー20代表のキャプテン、グエイダ・フォファナをリーグ・ドゥ(2部)のル・アーブルから手に入れた。最も、この3人の獲得に要した金額は合計で480万ユーロ(約5億7600万円)。肩で風を切って歩き、他者を上から見下ろしていた元王者にとっては、貧弱極まりないリクルーティングである。
 これは、DNCG(訳者・注:国内のプロクラブの財政面、及び法的運営を監視・管理する機関)の指導により、出来るだけ支出を抑える必要がアルからだ。同時にまた、UEFAが推進するファイナンシャル・フェアプレーの基準を満たすための備えでもある。オラスは無茶な投資を止め、現実路線の経営戦略へと切り替えたのだ。この点で、オラスを非難することは出来ないだろう。
 再び上昇に転じるために、オラスは14〜15年に完成予定の新スタジアム、『スタッド・デ・リュミエール』がもたらすであろう収益を当てにしている。もう暫くは厳しい時期が続くだろうが、その目論見が現実となれば、明るい展望が開けてくるはずだ。思えば、バイエルン・ミュンヘンやアーセナルもこうした苦しい時期を経験し、その後、再浮上の道を辿っている。

オラスは自身の秘蔵っ子に バルサの名将を重ね合わせ
ピュエルの後任に指名されたのは、オラスの秘蔵っ子であるガルド。監督経験こそないが、下部組織出身の若手を熟知するのは強みだ。
【オラスの変化は、今夏の監督人事にも表われている。これまでのように、実績のアル、あるいは名の知れた指導者を外部から引っ張ってくるのではなく、ピュエルの後任として、45歳と若いレミ・ガルドを内部昇格させたのだ。これまでトップチームはおろか、監督経験自体がない男を、である。
 この元フランス代表(6キャップ)は、リヨンで育成され、リヨンでプロデビューし、リヨンで9年間プレーしたかつてのキャプテンだ。・・・(略)・・・。
 オラスにとってガルドは、言うなれば息子のような存在。最終的にピュエルの招聘で落ち着いたものの、08年夏にはアラン・ペランの後任として、当時42歳だったこの秘蔵っ子を新監督に据えようと本気で考えていたほどだ。ガルドの抜擢が、単なる思いつきではないことだけは確かである。
 オラスからトップチームを託されたガルドは、早速チーム改革に着手。まず手始めとして、グループ生活に独自の手法を導入した。選手達に複数のリーダーを選抜させ、そのグループが選手全員の代弁者として、自分と密にコミュニケーションを取るよう求めたのだ。結果、・・・(略)・・・6人がソノ任についた。彼ら“代表団”は定期的に監督と会談の機会を持ち、チームの内情や今後の方向性などについて意見交換するのだという。
 前監督のピュエルが、何から何まで自分で決定しようとするマネジャー・タイプだったのに対し、このようにガルドは、よりコレクティブなビジョンを持っている。現場のトップとして振る舞いながらも、多くの人の意見に耳を傾け、それを柔軟に取り入れようとする度量の広さがある。
 監督としての経験の無さは、確かに心許ない。しかし、ガルドにはガルドなりの強みがある。その最たるモノが、クラブの下部組織から巣立った選手、あるいは現在そこに在籍する若手を熟知していることだ。現に彼は、若手を積極的に起用する方針を打ち出しており、行く行くは生え抜き中心にチームを編成する構想を持っているという。オラスがガルドを抜擢したのも、自らが理想とする生え抜き重視の政策を、この秘蔵っ子が実践してくれるという確信がアッタからなのだ。
 オラスがガルドに重ね合わせているのは、バルセロナのジョセップ・グアルディオラだろう。下部組織から引き上げた若者を着実に戦力として仕立て上げ、チームを強化するというサイクルこそ、オラスが真に求めているモノだ。そういえば、ガルドとグアルディオラはタイプこそ異なるが、ともに現役時代はセントラルMFだった。
 現にリヨンには、将来性豊かな若手選手がひしめいている。今夏にコロンビアで開催されたUー20ワールドカップで、フランスは4位という好成績を収めたが、この“レ・ブルエ”(筆者・注:A代表をレ・ブルーと呼ぶのにちなみ、Uー20代表は「小さいブルー」という意味のこの愛称で呼ばれる)のめんばーには、アレクサンドル・ラカゼット、ティモテー・コロジエチャク、クレマン・グルニエ、ヤニス・タフェール、セバスティアン・フォール、トマ・フォンテーヌ、エンゾ・レアルと、リヨンの選手が7人も含まれていた。このうちレアルは今夏に武者修行に出され多が、代わりに既述のフォファナが加入と、まさにリヨンは有望株の宝庫と化しているのだ。
 Uー20ワールドカップで、特に活躍が目覚ましかったのが、FWのラカゼット。5ゴールを挙げ、大会得点王に輝いた。抜群のスピードを持つ快足アタッカーは、既にリヨンのトップチームでも貴重な戦力で、昨シーズンのリーグ・アン、そしてCLでもゴールを決めている。
 移籍市場での衰退の裏には、自前で育てた若手をチームの中核に据えるという長期的戦略が潜んでもおり、近い将来、このUー20ワールドカップ組の中からビッグスターが生まれるかも知れない。実際に若い選手というのは、才能とチャンスに恵まれれば、信じ難いスピードで成長を遂げることがある。かつてのカリム・ベンゼマがそうだったように...。】 《この項・了》



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GERMANY 早くも正念場を迎えたハンブルク [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
ブンデスリーガ  《ルドガー・シュルツェ記者》
財政難で身動きが取れず、競争力が著しく低下。4節を終えて最下位と、ハンブルクが苦しんでいる。過去に一度も2部に降格したことのない北の巨人は、この厳しい状況をいかに乗り切るのか。早くも正念場を迎えている。

最後の6分で2失点を喫し 最下位のケルンに逆転負け
ケルン相手に逆転負けを喫し、ガックリと肩を落とすヤロリム。最下位に沈んだ名門ハンブルクは、この危機をどう乗り切るのか。
【これほど惨めな敗戦がアルだろうか。ブンデスリーガ第4節、ハンブルガーSVが喫した逆転負けは、伝統ある北部の巨人が現在、かつてないほど厳しい状況に直面している事実を、改めて浮き彫りにした。
 11分にムラデン・ペトリッチのPKで先制したものの、10分後に同点に追いつかれ、後半開始直後に逆転される展開。それでもしぶとく粘り、59分と62分に挙げた立て続けのゴールで再び3ー2のリードを奪う。その時点で、誰もが確信したはずだ。
「相手が相手だし、このスコアのまま終わるに違いない」
 と。だが、不調の真只中にあるハンブルクに1点を守り切る力はなかった。信じ難いことだが、最後の6分間で一気に2失点を喫し、再度、試合をひっくり返されてしまったのである。
 ホームでの屈辱的な敗戦に、怒りを爆発させたのはサポーターだ。それはそうだろう。相手は自分達よりずっと格下だと思っていた最下位の1FCケルンだったのだ。ただ、ファンはひとつ忘れている。自分達が、上から物を言える立場にないことを。3節を終えた時点でハンブルクは、ケルンと大差ない17位に沈んでいたのだから。いわば「最下位対ブービー」の対決は、こうしてブービーの敗北に終わった。そして順位は入れ替わり、ハンブルクが最下位に転落したのである。
 降格ゾーンで悪戦苦闘するハンブルクだが、彼らは“貴重な記録ホルダー”として知られたクラブだ。1963ー64シーズンにスタートしたブンデスリーガの長い歴史の中で、一度も2部に落ちたことのない唯一のチームなのである。バイエルン・ミュンヘンも降格経験は一度も無いが、この南部の巨人がブンデスリーガに参戦したのは65ー66シーズンから。すなわち創設時から名を連ねるメンバーでは、ハンブルクが唯一なのだ。
 ドイツ・サッカー史におけるハンブルクの栄光が、色褪せることは無い。1923年にクラブ初のドイツ選手権王者となって以来、いわゆるトップリーグで果たした優勝の回数は六度。83年にはチャンピオンズ・リーグの前身であるチャンピオンズ・カップの頂点に立ち、またDFBカップを三度、リーグカップを二度制するなど、その歴史は栄光に彩られている。
 記録と共に、記憶にも深く残るチームだった。
( ー 以降 略 ー )】

いわば見習いに近い船長が 傾きかけた船を操縦する
●新SDのアルネセンに突き付けられたのは厳しい現実だ。深刻な財政難の中で今後、いかに強化を進めていくのか。
●昨シーズン途中に就任してからの成績は、1勝6分け5敗と惨憺たるモノだ。数カ月前までコーチだったオエニンクに、ハンブルクの指揮官は荷が重過ぎる。
だが、そんな栄光の歴史は、もはや完全に過去のモノだ。昨シーズンのハンブルクは、欧州カップ戦の舞台にすら立てず、ブンデスリーガにおいても凡庸な成績(8位)に終わり、期待を大きく裏切った。
 高額の年俸を得るビッグネーム達は軒並み不振に陥り、また利他的に振る舞える選手はひとりもいない。これでは、優勝争いに絡めるはずが無いだろう。そして今夏、崩壊寸前のチームに嫌気が差した選手達は、大挙して退団を決意。ルート・ファン・ニステルローイ、ゼ・ロベルト、ヨリス・マタイセン、ジョナタン・ピトロワパ、ピオトル・トロホウスキ、フランク・ロストといった、いわばチームの顔役が一気に抜けたのである。
 低迷を招いた原因は、一にも二にも会長とフロント(強化部門)にある。彼らは「クラブを運営する上で絶対にしてはならない行為を、全て実行した」と言っていいほど愚かな政策を繰り返し、チームから輝きを奪ったのだ。
 選手の真価を見抜けず、移籍マーケットに無駄なマネーを次々と投じていったのが強化部門だ。一方、周囲をイエスマンで固めたベルント・ホフマン会長は、“裸の王様”となって多くの決断を誤った。彼らをコントロールするはずの理事会も、有効な解決策を最後まで見出せず、結果、ハンブルクに訪れたのは未曾有の大改革だった。今春、『クラブ首脳陣の総辞職』が決定。これにより理事会、会長、マーケティング部長、監督、GMの顔触れは一新され、クラブは文字通り生まれ変わったのである。
 新たな人事の目玉は、スポーツディレクター(SD)のフランク・アルネセン。デンマーク出身の元代表選手で、物静かな性格ながら着々とミッションをこなしていく仕事人だ。過去にPSVアイントホーフェン、トッテナム・ホットスパー、チェルシーで同様の仕事に従事したアルネセンは、PSV時代には怪物ロナウドやアリエン・ロッベン、ファン・ニステルローイを発掘するなど、目利きの良さには定評がある。ちなみにチェルシー時代には、リザーブチームのコーチも務めたが、際立った成績は残せていない。どうやら、指導者には不向きらしい。
( ー 中 略 ー )
 ・・・(略)・・・、結局、契約は成立しなかった。これを受けて白羽の矢が立ったのが、チェルシーのSD職を辞したばかりのアルネセンだったというわけだ。ハンブルクが提示した年俸は、170万ユーロ)約2億400万円)。苦しい財政事情を考えれば、破格である。
 クラブ職員の中で最高額の報酬を受け取ることになったアルネセン。彼に突き付けられたのは、しかし厳しい現実だった。理事会が『倹約路線』を打ち出したのである。
・・・(略)・・・。
 アルネセンのモチベーションは、一気に低下しただろう。
 強引に導入された倹約政策は、監督人事にも小さくない影響を及ぼした。2011年3月12日、ハンブルクはバイエルンに0ー6で大敗し、それに伴い当時の監督だったアルミン・フェーが引責辞任する。ところが、新監督を招聘する資金を捻出できなかったハンブルクは、アシスタントだったミヒャエル・オエニンクを昇格させる以外に、手段が無かったのだ。
 ドイツ語とスポーツ学を大学で専攻した46歳のオエニンクは、かつて教師を目指していたが、やがてサッカー指導者の道を歩み始め、VfLヴォルフスブルク、ボルシア・メンヘングラッドバッハ、1FCニュルンベルクといった中堅クラブを渡り歩くコーチになっていたという変わり種だ。
 監督としての評価は、決して高くは無い。むしろ、「向いてイナイ」という見方が大半だ。リーダーシップとビジョンに欠け、総合的なマネジメント能力に疑問を持たれている。要するに、器では無いのだ。
 そんな人物が、果たしてブンデスリーガ1部のクラブを率いることができるのか。指名した理事会が愚かなのか、指名を受け入れた当人が悪いのか、その判断は兎も角、いわば見習いに近い船長が、傾きかけている船を操縦しているわけである。
 案の定と言うべきか、駆け出しの新米には荷が重かった。オエニンクが指揮を執ってからハンブルクが消化したブンデスリーガの試合は、今シーズンも含めると、ここまで12試合。結果は1勝6分け5敗と惨憺たるモノだ。初陣のケルン戦(3月19日)に6ー2で勝利したのが、唯一の白星である。
 今シーズンに限れば、1分け3敗だ。決して恵まれているとは言えないタレントをいかに活用し、チームに秩序を植え付け、戦術を浸透させて競争力を高められるか。オエニンクに課せられた任務は、難易度が低く無い。とはいえ開幕4試合で3敗は、言い訳の許されない成績だ。】

今夏の補強は12億円前後 この程度の“小銭”では...
【ファンの失笑を買ったのは、8月31日に期限を迎えた今夏の移籍市場での成果についてもだ。クラブが用意した補強費は、1000万ユーロ(約12億円)前後だったと言われている。この程度の“小銭”で獲得できる優れたタレントなど、そうイナイだろう。
 そこでアルネセンは、古巣のチェルシーに連絡を入れ、リザーブ選手やレンタルに出している若手有望株などを、安く譲ってもらえるよう交渉した。・・・(略)・・・の5人が、ドイツ北部の港町にやって来たのである。
「これではまるで、チェルシーのリザーブチームだ」
「アルネセンはチェルシーの余り物でチームを作るようだ」
 厳しい批判に対して、アルネセンはこう反論する。
「クラブにはカネが無い。その中で、どう補強するか。私がチェルシーと良好な関係をキープしていたからこそ、“お手頃価格”で選手を獲得できたのだ」
 ただ、いずれも未知数のタレントであり、戦力アップに繋がるかは大きな疑問だ。0ー5の大敗を喫したバイエルン戦(3節)のハンブルクが、現在のリアルな姿だろう。仮に決定機を全てモノにされていたら、失点数は間違いなく二桁に達していたはずだ。
 選手以上にショックを隠し切れなかったのは、オエニンク監督だった。
「基本的なプレーが出来ず、簡単な約束事も守れていなかった。それが腹立たしい」
 選手への不満をそう口にしたが、オエニンクの戦術がチームに浸透していないのは明らかで、敗戦の責任は指揮官にも当然ある。
 不可解なのは、オエニンクの戦い方だ。ある試合では4ー3ー3、別の日には4ー4ー2、その翌節には4ー1ー4ー1を採用するなど、システムに一貫性がマルでない。また攻撃サッカーを目指しているようだが、攻守のバランスを見出せず、4試合で14失点とディフェンスは早くも崩壊寸前だ。
 個々のパフォーマンスも、褒められたモノではない。合格点に届くのは、唯一、チェコ代表のダビド・ヤロリムぐらいのモノである。
( ー 中 略 ー )
 財政難ならば育成に力を入れれば良いと、そんな意見もアルだろう。だが、それには長い時間と根気が必要だ。ドルトムントは一夜にして強豪チームになったわけでは決してない。
 この厳しい状況を、いかにして乗り切るか。名門ハンブルクは、今重要な局面を迎えている。
 最も、財政難で身動きの取れない現状は、オエニンク監督にとっては好都合かも知れない。余程の失態を演じない限り、解任される心配はないだろう。何故か。新たな監督を雇えるだけの資金が、今のハンブルクにはないからだ。】 《この項・了》



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ENGLAND 自ら蒔いた種が「悪夢の8月」 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(パー)]
プレミアリーグ  《オリバー・ケイ記者》
セスクとナスリを同時に失い、マンチェスター・ユナイテッドに惨敗するなど、1分け2敗と開幕から躓いたアーセナルにとって、8月はまさに悪夢のような1カ月だった。ただし、それも全ては自らが蒔いた種だ。

オールド・トラフォードの アーセナルは衝撃的だった
【これほどまでに打ひしがれ、叩きのめされたアーセン・ヴェンゲルの姿を、私は見たことがなかった。
 オールド・トラフォード(マンチェスター・ユナイテッドの本拠地)の記者会見場。壇上のヴェンゲルから、私は2㍍ほどの距離にいた。マンチェスター・ユナイテッド(以下ユナイテッド)に2ー8の大敗を喫したばかりの敗軍の将は、明らかに居心地が悪そうだった。その場から逃げ去りたい衝動を、どうにか抑え付けているようだった。
 それにしても、この8月はヴェンゲルにとって悪夢のような1カ月だった。ポジティブに振り返られるのは、ウディネーゼを下してグループステージに駒を進めた、チャンピオンズ・リーグ予選での勝利くらいのモノだろう。1分け2敗とスタートから躓いたプレミアリーグでは、3節終了現在で17位に沈む。その3試合で3人がレッドカードを受け、4人が出場停止処分を食らっている。ジャック・ウィルシェアを初め怪我人に悩まされ、極め付けが、セスク・ファブレガスとサミア・ナスリの退団だ。周知の通り、それぞれバルセロナ、マンチェスター・シティ(以下シティ)へと移籍した。
 ユナイテッド戦の惨敗は、あれから7週間後の出来事だった。プレシーズンのアジア遠征で、ヴェンゲルは語った。「ファブレガスとナスリを同時に手放したら、アーセナルはビッグクラブでも、野心的なクラブでもなくなる」と、そんな危機感を言葉にしてから、2カ月も経たないうちにその危惧は現実のモノとなり、歴史的な大敗を喫したのである。
 ユナイテッド戦は8月28日。それから移籍マーケットが閉まる8月31日まで、アーセナルは慌ただしい3日間を過ごすことになる。
 韓国代表のFWパク・ジュヨンをASモナコから、ブラジル代表の左サイドバック、アンドレ・サントスをフェネルバフチェから獲得すると、期限最終日は更に3件の移籍交渉を纏め上げる。エバートンからミケル・アルテタを引き抜き、チェルシーからヨッシ・ベナユンをレンタルで借り受け、ヴェルダー・ブレーメンからペア・メルテザッカーを手に入れた。
 この駆け込み補強が、アーセナルにどんな結果をもたらすか。現時点では分からない。ただ、これだけは確かだろう。悪夢の8月は、いわば自ら蒔いた種だということだ。補強を怠ってきたツケが、ついに回ったのだ。これは、ひとりヴェンゲルの責任ではない。現場の全権は指揮官にあるとはいえ、補強の予算を組み、最終的にゴーサインを出すのはフロントだ。いずれにしても、自分達で招いた窮地に彼らは陥ったのである。
 アーセナルが抱える何よりの問題は、戦力が絶対的に不足していることだ。移籍期限のラスト3日間で、どうにか体裁を整えたとはいえ、昨シーズンからの上積みはおろか、それを維持できてもイナイだろう。失ったのは、セスクとナスリという絶対的なキーマンだ。簡単に補えるマイナス分ではないし、そもそもこの2人が健在でも陣容は物足りなかったのだ。6年間遠ざかっているタイトルから、また更に遠のいてしまったと、そう言っても決して過言ではない。
 それにしても、オールド・トラフォードでのアーセナルは、衝撃的ですらアッタ。あんなに弱々しく、腰の抜けたようなパフォーマンスを見せるとは、にわかには信じられなかった。ユナイテッドが殊更に良かったのも事実だ。・・・(略)・・・。
 その不甲斐なさに、誰よりも衝撃を受けていたのは、ユナイテッドの選手達だったかも知れない。プレッシャーがまったくなく、たっぷりの時間とスペースを与えられるというあり得ない展開に、かえって面喰らったはずだ。】

シーズンの開幕から3試合 露呈された弱点はまさに...
まさに打つ手無しといった表情で、ピッチに視線を送るヴェンゲル。信じられないスコアでユナイテッドに惨敗。
挑発に乗ったジェルビーニョがレッドカードを受ければ、フリンポンは危険なタックルで退場。若さが露呈された。
【ユナイテッドに惨敗した後、ヴェンゲルは弁明した。チームは「極めて特殊な状況にアッタ」と。その通り、アーセナルは8人の主力メンバーを欠く緊急事態だった。ウィルシェアを初め、・・・(略)・・・、ジェルビーニョの3人はいずれも出場停止でピッチに立てなかった。
 ただ、それを言うなら、ユナイテッドもベストメンバーではなかった。ネマニャ・ヴィディッチとリオ・ファーディナンドという最終ラインの大黒柱を故障で欠き、ダレン・フレッチャーとアントニオ・バレンシアもコンディションが整わずに不在だった。
 両チームの明暗を分けたのは、選手層の違いだ。
( ー 中 略 ー )
 まるでリザーブチームのアーセナルは、案の定、ユナイテッドに蹂躙された。試合前のプレスルームで、私は記者仲間とアーセナルの完敗を予想した。「1ー4だろう」、「いや5点は取られるぞ」、「ゴールは奪えない。完封だよ」と、そんな会話が交わされたが、結果的にそうした予想は全て裏切られた。我々の考えを遥かに上回って、アーセナルは酷かったのだ。
 ベンチで頭を抱えるヴェンゲルに、私は同情を禁じ得なかった。望まざる方向へとフロントが舵を切り、最も大切な2人の中心選手を同時に失ったのだ。フットボールを愛する者なら、等しく私と同じ感情を抱いたに違いない。偉大な指揮官が、このような仕打ちにアッテいいはずがない。ヴェンゲルを叩いてきた記者も、同情の眼差しだった。誰もがこのフランス人を認め、その手で再びアーセナルを正しい道へと導いて欲しいと、心の中ではそう願っているのだ。
 その一方で、忘れてはならないのが、ヴェンゲルにも責任の一端はアルという事実だ。
 1990年代後半から2000年代にかけて黄金期を築いた頃とは異なるアプローチを、ヴェンゲルが採っているのは周知の通りだ。ローコストの若い選手をかき集め、鍛えながらチームを強くして行こうという強化方針への転換である。しかし、そこから主軸に育った選手は、セスクを除けばひとりもいない。トニー・アダムスやパトリック・ヴィエラのような、圧倒的なパーソナリティーを発揮して屋台骨を担う支柱は生まれてはイナイのだ。
( ー 中 略 ー )
 駒不足が叫ばれていた守備的MFにも手を入れることはなく、ヴェンゲルはソング、フリンポン、コクランで乗り切る算段をしている。そしてその計算は、ユナイテッド戦で早くも、そして脆く崩れ去ったのである。
 経験は重要なファクターであると、私はこのコラムで何度も何度も指摘してきた。アーセナルについて語る際には、おそらくそれを書き漏らしたことはないはずだ。無冠が6年間も続いているのは、経験が絶対的に欠落しているからだ。
 シーズン開幕からここまで、露呈されたのは、まさにこの弱点だった。
 アウェーに乗り込んだニューカッスル・ユナイテッドとの開幕戦。新加入のジェルビーニョがジョーイ・バートン(その後、クイーンズ・パーク・レンジャーズへ移籍)の挑発にまんまと乗り、暴力行為でレッドカード。その混乱の中で、ソングもバートンを踏み付けたとして、共に3試合の出場停止処分を受けた。
 続くリバプール戦では、フリンポンが危険なタックルを繰り返し、二枚のイエローカードを受けて退場した。こうした乱心は若さの裏返しだ。チームを落ち着かせるベテランの存在があれば、特にジェルビーニョとソングのケースは防げただろう。】

ネガティブな方向に進んだ ターニングポイントは___
【昨シーズンの終盤戦から、厳密に言えば今年3月以降、アーセナルはプレミアリーグの14試合でタッタ2勝しかしていない。
 ネガティブな方向へと進むこととなったターニングポイントが、2月27日のカーリングカップ決勝だ。バーミンガム・シティにまさかの敗北(1ー2)を喫したこのファイナルで歯車を狂わせたアーセナルは、そこからパタリと勝てなくなるのだ。
 決勝戦を控えたヴェンゲルのコメントを思い出す。
ここで勝てば、次のタイトル、またその次のタイトルへと繋がる
 その時点で、チャンピオンズ・リーグ、プレミアリーグ、FAカップと4冠の可能性を残していた指揮官は、余裕でそう語ったモノだ。しかし、現実はソノまったく逆の展開となった。格下に敗れた若いチームは自信を失い、CLとFAカップから相次いで敗退。プレミアリーグでも勝ち点を取りこぼし、優勝争いから脱落した。
 カーリングカップ決勝での敗北が痛恨だったのは、これでナスリの心が移籍へと大きく傾いたからだ。2月のこの時点では、2012年の夏に切れるアーセナルとの契約を、フランス代表MFは更新するつもりでいた。報酬アップの長期契約もまずまず満足行くモノだったという。
 ところが、カーリングカップ優勝を逃し、チームが急降下して行く中で、ナスリはアーセナルへの疑念を大きくしていったのである。
 そして、シーズンが終わろうかというタイミングでシティが獲得の意思を表明すると、ナスリは交渉のテーブルから離れてしまうのだ。これで、ヴェンゲルとアーセナルは難しい決断を迫られることになった。セスクの願いを聞き入れ、バルサへの移籍を容認する意向を固めていたからだ。
 長期に渡ったバルサとの話し合いが纏まり、セスクの退団が決まったのは8月15日。移籍金は3500万ポンド(約49億円)だった。ここまで交渉を長引かせず、早い段階でバルサのオファーを受け入れ、代役を確保するための猶予を作るべきだったという指摘は、まさに正論だろう。
 とはいえ、現実はそんなに単純でも、明快でもない。1ポンドでも安く買い叩こうと、バルサはあらゆる手練手管を駆使してきたのだ。6月や7月に提示された条件で、アーセナルは納得できるはずはなかった。
 そもそも、ヴェンゲルにはナスリを手放すつもりはなかった。契約が満了してフリーで出ていかれることになっても、今シーズンは残留させて、セスクの代役を託す腹積もりだったのだ。指揮官のその決意をあっさりと押し流したのは、シティの財力だった。2400万ポンド(約34億円)の移籍金は、アーセナルのフロントにとってとうてい断れるモノではなかった。
 勿論、ナスリ自身の忠誠心にも疑問符がついていた。チームから心が離れた選手を無理に残留させ、内部破壊をもたらす不満分子とするよりも、売り捌いたほうがあらゆる意味で得策だ...。それがアーセナルの最終的な判断だった。
 ヴェンゲルにとって、アーセナルのファンにとって、8月は悪夢のような1カ月だった。しかし、それももう過ぎ去った。カレンダーは9月だ。期限ギリギリの駆け込みとはいえ、タレントは補充した。
 後は信じるだけだ。アーセン・ヴェンゲルという知将の手腕を___。】 《この項・了》



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SPAIN フットボールを後世に残すために [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(チョキ)]
リーガ・エスパニョーラ  《ヘスス・スアレス記者》
恐れていたことが、今現実になろうとしている。老若男女を問わず、ファンのフットボール離れが深刻化しているのだ。TV放映権料の不公平な分配方法に、選手の給料未払い問題...。解決を急ぐべき問題が山積している。

スペインで急速に進行する 若者の“フットボール離れ”
私の息子のガブリエルは、今年で26歳になる。バルセロナで暮らす彼はロックバンドを組み、ギタリストとして演奏しながら、作詞作曲にも懸命に励んでいる。
 ガブリエルは幼い頃からフットボールに慣れ親しんできた。父親が少年チームを指導していたことや、私の友人であるフラン・ゴンサレスやホセ・ラモン(共に元デポルティボ・ラ・コルーニャの選手)といったプロのフットボーラーの存在を身近に感じながら育ったことも、多分に影響していたのだろう。
 また、未だ幼かった頃には、試合会場やインタビュー取材の現場にも息子を連れて行き、アリーゴ・サッキ(元アトレティコ・マドリー監督)、フェルナンド・レドンド、グティ(共に元レアル・マドリー)、ファン・カルロス・バレロン(現デポルティボ)など、多くの選手や監督に紹介して回った記憶がある。
「親バカだな」
 そう思われるかも知れない。いや、実際にそうだったのだろう。ただ、私がそうした行動を取った一番の理由は、兎に角人間を成長させてくれるこのフットボールというスポーツを、息子にも心から愛して欲しかったからだ。その切なる思いは、フットボールを深く愛する多くの親達が抱く、当然の感情と言えるだろう。
「おい、坊主はデポルティボのファンなのか? この俺様にサインをねだるくせに。早いところ、セルタのファンになっちまえよ(笑)」
 セルタに在籍していた当時のミチェル・サルガド(現ブラックバーン・ローバーズ)にそうからかわれながら、それでも頑なにデポルのファンだと言い張っていた息子の姿を、愛おしく思いながら見ていたものである。
 ガブリエルはその後、音楽に目覚めたこともあり、フットボールの選手にはなれなかったが、そんなことは問題ではなかった。彼がフットボールを好きになってくれたことが、私は何より嬉しかった。
 ところが、その息子が最近になってこう愚痴るようになったのだ。
父さん、近頃のフットボールはどうしちゃったんだい? あまりにつまらなくて、なんだか日増しに嫌いになっているような気がするよ
 父親として、これほど悲しい言葉がアルだろうか!!
 しかし、これはガブリエルに限った話ではなかった。スペインでは今、若者達の間で、“フットボール離れ”が急速に進行しているのだ。

クラブ首脳は選手達を “商品”と勘違いしている
戦力の上積みが可能なのは2強だけだ。今や「売らずには買えない」のが当たり前で、アトレティコも主力の売却に踏み切っている。
【最も、フットボールに興醒めしているのは若い世代だけではなく、昔からのオールドファンも同じだ。
「金を持っている奴が強い。そんな弱肉強食の世界を、わざわざ金を払って見る必要はないだろう。そんな話、どこにでも転がっているんだからな」
 どちらが勝つか分からない...。そのスリル感こそ、フットボールの醍醐味だった。しかし、いつの間にかリーガのピッチでは、強い者が弱い者をいたぶるだけの戦いが繰り広げられるようになっている。
 バルセロナとマドリーは、TV放映権料を牛耳ることで、他を大きく引き離すほどの強さを手に入れた。高額なスター選手の獲得に全力を注ぐ2強と、補強費を捻出するためにエース級の選手の売却に踏み切らなければならないその他のクラブ。現時点でそれほどの差が、既に生まれつつあるのだ。
 アトレティコはこの夏、ついにセルヒオ・アグエロとディエゴ・フォルランの2大エースの売却に踏み切り(前者はマンチェスター・シティ、後者はインテル・ミラノへ)、バレンシアはファン・マヌエル・マタ(チェルシーへ)、ビジャレアルはサンティ・カソルラ(マラガへ)と、チームの中心選手をそれぞれ手放している。
 未だ1試合を消化したところだが、リーガの優勝争いは事実上、2強に絞られたと言っていいだろう。これまでも、バルサとマドリーは国内のタイトルを分け合う抜きん出た存在だったが、それでも他のクラブとの間にここまでの実力差が付いたことは一度もない。開幕ゲームはどちらも5点差以上を付けての圧勝。これでは、大衆の興味が薄れたとしても不思議はないだろう(編集部・注:開幕戦となった第2節、マドリーは敵地でサラゴサに6ー0、バルサはホームでビジャレアルに5ー0の勝利を飾っている)
 また、開幕前に起きたストライキ騒動が、ファンのフットボール離れを助長したのも事実だった。
 8月25日、AFE(スペイン・プロサッカー選手組合)とLFP(スペイン・プロリーグ機構)は条件面で合意に達し、リーガ・エスパニョーラは1週間遅れで開幕することになった(編集部・注:リーガは2節からスタート。1節のゲームは2012年1月21〜22日に延期選手の未払い給料の補填金は満額ではなかったようだが、新協定には、「3カ月未払いが続いた場合は自由契約になれる」という保証が盛り込まれたという(新協定の細かい内容は明らかにされていない)。
 ストライキは一応の解決を見たが、金とフットボールの現実を突き付けられたサポーターの多くは、試合観戦に嫌気を起こしている。
 そもそもフットボールの主役であるはずの選手が給料未払いに苦しむなど、絶対にアッテはならないのだ。クラブは選手を商品か何かと勘違いしているのか、兎に角扱いが雑過ぎる。
 ドイツやイングランドで、同様の問題が噴出していない以上、各クラブの首脳が世界的な経済不況を言い訳の盾に使うのは間違っているし、目先の銭に翻弄されル歪んだ資本主義は、リーガ・エスパニョーラの土台を揺るがしかねない。
 リーガ・エスパニョーラの放映権を持つ「 Gol TV 」とLFPは、2節のアトレティコ対オサスナ戦のキックオフ時間を、昼の12時に設定した。改めて説明するまでもないが、この時間はスペインのフットボールタイムではない。アジア各国のゴールデンタイムに合わせて、試合時間を定めたわけだ。あまりに開き直ったこの儲け優先主義には、もはや開いた口が塞がらない(スペインの12時は日本や韓国の19時)。
 またLFPは、今シーズンから国内の民放ラジオ局に対し、放送権料(ラジオ放送のためのライセンス料)として1500万ユーロ(約18億円)を要求している。これはいわば、新聞記者がお金を払って試合を取材するようなもの。勿論、ラジオ局側が応じるはずもなく、その結果、開幕ゲームとなった2節の試合では、スペイン・フットボール史上初めて、ラジオ局の記者がスタジアムから締め出しを食らうという、由々しき事態に陥っている。

目先の金儲けだけでなく 未来も真剣に考えるべきだ
ラジオのフットボール中継は、スペイン国民の間で高い人気を誇る。最良の解決方法が見つかることを願いたい。
まずはTV放映権料の分配方法を見直すべきだろう。公平性を欠けば、いかに見事な勝利でも素直に称賛するのは難しい。
スペイン・フットボールのメディアの根幹を担っているのは、新聞でも雑誌でもTVでもなく、ラジオである。スタジアムでは多くのファンがラジオで他会場の戦況を聞きながら、目の前の試合を観戦している。それはもはや、この国に根付いた観戦スタイルのひとつと言ってもいい。また自宅やタクシーでは、必ずと言っていいほどラジオからフットボール中継が流れており、多くのフットボール愛好家がその娯楽を享受してきたのだ。
 経済的な理由でTVを満足に見られない人がいる。TVは持っていても、有料の衛星放送と契約できない家庭も少なくない。誤解を恐れずに言えば、ラジオは弱者の味方だったのだ。
「身体が不自由だったり目が見えない人達の中にも、俺達の番組を楽しみにしてくれているリスナーがいるそうだ」
 私はそんな話を、一緒にラジオ番組を担当している記者から聞いたことがアルが、ひとりのラジオパーソナリティーとして、その言葉にどれほど励まされたか分からない(編集部・注:ヘスス・スアレス氏は、地元ラ・コルーニャのラジオ局でサッカー番組のパーソナリティーを務めている
 ラジオ局が莫大な放送権料を支払うのは、正直難しい。スポンサーを見つけるのは困難だし、そもそもラジオ局の記者達の給料は、たかが知れたものなのだ。
 苦肉の策として、自らチケットを買い、観客席から放送することはできるだろう。実際『カタルーニャ・ラジオ』は、バルセロナ対ビジャレアル戦にチケットで入り、スタンドから放送していた。だが、それをやってしまっては、何の解決にもならない。現在は各ラジオ局が協定を結び、政府の協力を仰ぎながら、LFPの決定に抗議しているところダが、9月上旬の現時点で解決の糸口は見えず、暫く尾を引きそうな気配だ(編集部・注:2節のゲームでは、多くのラジオ局がTV画面を見ながらの中継を余儀なくされている
 私は息子と同世代の若者達や、更にそれに続く世代にも、フットボールを愛してもらいたいと思っている。しかし、現在のような状況が長く続けば、間違いなくフットボール離れは進んで行くだろう。
 今シーズン、デポルティボが2部に降格したことで、奇しくも宿敵セルタとのガリシア・ダービーが、久々に実現することになった。我々ガリシア人にとって、その戦いが持つ意味は大きい。私自身もガリシアのクラブに在籍し、州リーグや地域リーグのタイトルを争っていた時は、僅か数百人の観客とはいえ、凄まじい熱気を感じたものである。負けられない試合にどう挑むか、フットボールはそんなことも教えてくれたモノだ。
 いかにフットボールを未来に伝えて行くか。リーガの関係者は目先の金儲けだけでなく、そうしたことも真剣に考えるべきだろう。そのためにはまず、TV放映権料の平等化を実行に移さなければいけないし、選手の給料の支払いを保証するのは当然で、またラジオの問題も解決させなければならない。
 誰もが楽しめるスポーツとしてのフットボールを後世に残して行く。その使命を、我々は決して忘れてはならないのである。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.6号_No.348_記事》
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