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BRASIL 「RO-ROコンビ」非難合戦の裏側 [THE JOURNALISTC]

カンピオナット  《ロドリゴ・ブエノ記者》
 「ブラジル史上最強の2トップ」の呼び声もあるロマーリオ&ロナウドの「RO-ROコンビ」。美しいコンビネーションでゴールを量産したレジェンドの2人が今、非難合戦を演じて話題を呼んでいる。その裏側に迫った。

美しいコンビネーションで 20試合で35得点を叩き出す
90年代後半に爆発力を見せたロマーリオとロナウドの「RO-ROコンビ」。引退後も良好な関係を築いていたが、近年は大舌戦を展開。
【】

いわば大衆派のロマーリオと 支配階級を支持するロナウド
ロマーリオが激しく罵ったFIFAのヴァルク事務局長と共に、W杯関連イベントに参加するロナウド。今や支配階級の一員だ。
【現役時代の実績は甲乙付け難く、ブラジル国内ではほぼ同格のレジェンド。この2人が近年、非難の応酬を繰り広げて話題を呼んでいる。
 最大の“火種”となっているのが、開幕間近のブラジル・ワールドカップだ。11年2月に現役引退したロナウドは、最終所属クラブとなったコリンチャンスのアンバサダーを務める傍ら、知人とスポーツ・マーケティング会社を共同経営し、テレビCMなどにも出演していた。そんな中、11年末に当時のCBF(ブラジル・サッカー連盟)会長リカルド・テイシェイラの要請を受け、ワールドカップ組織委員会の理事に就任。
( ー 中 略 ー )
 貧困層出身ながら、“フットボール成金”となって以降はエスタブリッシュメント(支配階級)を支持し、“日和見的”と陰口を叩かれながらも、世間の荒波を巧みに泳ぐ---。流石元スーパースターだけあって、現在でも注目度はかなりのモノだ。
( ー 中 略 ー )
 一方のロマーリオは、現役時代からクラブ首脳陣、監督などに公然と反旗を翻してきた根っからの反逆児である。
 私生活でも自由奔放に振る舞ってきた悪童だが、05年に末の娘がダウン症を患っている事実を告白。「彼女は俺のプリンセス。あの子がいるお陰で、障害者が直面している困難な状況を初めて知り、目が覚めた」と語った。
 そして、「スポーツ振興と障害者への福祉向上」という公約を掲げて、10年10月の下院議員選挙に出馬。庶民から圧倒的な支持を得て、見事に上位当選を果たした。・・・(略)・・・。「常に大衆の立場から物事を考える」が信条だ。
 それゆえ、理不尽があればどんな巨大権力にも構わず噛み付く。例えば、ワールドカップを誘致した07年当時、テイシェイラCBF会長とルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シウバ大統領は、「開催準備には公的資金を一切使わない」と断言していた。しかし実際には、12会場全ての建設工事に巨額の公的資金を投入。ロマーリオはこれを強く非難し続けている。
( ー 中 略 ー )
 更に、「このような形でワールドカップを開催してしまえば、絶対にブラジルのためにならない」と断言するロマーリオは、ワールドカップ開催反対を唱える大衆デモにも強い共感を示してきた。
 そんなロマーリオに対して、“体制派”のロナウドは「外から批判するのは簡単だ。彼は愛国心が足りないんじゃないか」と無防備に反論。
( ー 中 略 ー )
 こうして、かつてセレソンで華麗な連携を披露した「RO-ROコンビ」に、大きな溝が出来てしまったのだ。
( ー 中 略 ー )
 ただ、ロマーリオの真の“標的”はロナウド個人ではない。彼の背後にいるFIFAとCBF、そしてワールドカップ組織委員会だ。これらの巨大な敵を攻撃するため、特に考えもなく彼らの片棒を担いでいる(担がされている)ロナウドを叩いて、世間の耳目を集めようと目論んでいるのだ。】

デモなど複数の懸案事項は 大会を中止に追い込みうる
下院議員を務めるロマーリオは、大衆派を謳うだけあって、FIFAやCBF(ブラジル・サッカー連盟)など巨大権力にも構わず噛み付く。
【ワールドカップ開催によって、ロマーリオはFIFAやCBFに屈するのか---。いや、そうとも限らない。仮に開幕に漕ぎ着けたとしても、無事に開幕できる保証がマッタクないからだ。
 以前から指摘されているスタジアム建設の遅れは、サンパウロ、クリチーバ、ポルトアレグレの3会場がとりわけ頭痛の種となっている。最も深刻なのが、ブラジル対クロアチアの開幕戦が行なわれるサンパウロ・アレーナだ。3月末には特設スタンド取り付け工事に従事していた作業員が、9㍍の高さから落下して死亡。安全管理が杜撰なうえ、工事遅延を取り戻そうとして作業員に長時間労働を強いているサンパウロ会場で作業員が亡くなったのは、これで3人目。ワールドカップ会場全体では8件目の死亡事故となった。
 サンパウロ会場が実際に使用可能となるのは、開幕2週間前の5月末と見られており、試合実施には問題はないだろう。ただ、メディアセンターのIT機器設置などに、大きな影響が出るのは避けられない情勢だ。

 ただ、ブラジル・ワールドカップにおける一番の不安材料は、スタジアム問題ではない。最も懸念されるのが、大会期間中のワールドカップ反対デモだ。以前にも当コラムでお伝えした通り、デモには学生や若い労働者に加え、昨夏のコンフェデレーションズ・カップ以降に“ブラック・ブロック”と呼ばれる黒覆面のアナーキスト集団が参入。無差別な暴力行為を働いている。更に最近では、極右や極左のグループ、そして混乱に乗じて略奪行為に走る犯罪集団まで参戦し、市民に大きな恐怖を与えている。

 彼らは大会期間中、外国の選手団一行とサポーターを襲撃ターゲットにすると伝えられており、実際に外国人に犠牲者が出た場合、大会が中止に追い込まれる可能性は否定できない。

 また、労働組合が各種交通機関のストライキを計画しているという情報も無視できない。チャーター機で移動予定の選手団とて、空港職員がストに踏み切れば、勿論飛行機には乗れない。サポーターについても同様だ。仮にこれが現実となれば試合開催は不可能で、やはり大会は進行できなくなる。

 更に、ブラジル全土の刑務所で囚人が一斉に暴動を起こし、脱走しようとしているという、身の毛がよだつ風説もある。

 そして、ワールドカップやオリンピックなどのメジャー国際大会で恒例となっている犯罪行為も心配だ。外国人サポーターを狙って犯罪集団が開催地に集結し、空港、ホテル、スタジアムの周辺や商店街などで強盗、スリ、置き引き、更には“セクエストラ・レランパゴ”と呼ばれる短時間誘拐(車に押し込んで連れ去り、ATMで現金を下ろさせてから数時間で解放する誘拐)などが、懸念されている。

 国内の暴力的サポーター同士の衝突、アルゼンチン、ウルグアイなど隣国からやってきたサポーターの暴動、更に言えば外国人テロリストによる爆破事件なども、可能性はセロではない。

 これら数々の不安要素を考えると、主要空港の改装工事が大会までに終了せず利用者が多大な迷惑を蒙りそうなこと、大会期間中の国内航空券やホテル代が通常の5〜6倍まで高騰しそうなことなど、さしたる問題ではないようにすら思えてしまう。

 こうした懸案事項が実際に勃発してしまい、結果的にワールドカップが中止に追い込まれたら---。ロマーリオの勝利宣言は容易に想像が付く。
これまでいくつもの悪事を働いてきたFIFAとCBFに、神様が正義の鉄槌を下されたのだ」】 《この項・了》




《ワールドサッカーダイジェスト:2014.5.1号_No.410_記事》
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SPAIN 「未来」を断ち切るなど許されない [THE JOURNALISTC]

リーガ・エスパニョーラ  《ヘスス・スアレス記者》(2014.1.12:記)
7歳以下の子供達にもチケット購入の義務を課す。バルサが下したこの決定が、物議を醸している。フットボールの世界を支えているのは、幼少時にスタジアムで興奮を覚えた子供達であることを忘れるべきではない。

この世界を支えているのは 「子供が成長した大人」では
●「個人的には今回の決定に反対だ」と前置きしながらも、ロセイ会長は「子供の安全を考えるとこうするしかなかった」と述べている。
 【デポルティボ・ラ・コルーニャの元キャプテンで、2005年に現役を引退した親友のフラン・ゴンサレスと、バルセロナのトレーニング施設「シウダ・デポルティバ」とバルサBのホームスタジアムである「ミニ・エスタディ」を巡ってきた。というのも、実はフランの息子であるニコラスが、現在バルサのカンテラに所属しているため、一緒にトレーニングや試合を観てきたのだ。
 そんな折、寝耳に水の話を聞いた。
「10月26日のクラシコ(レアル・マドリー戦)から、カンプ・ノウでは7歳以下の子供達にもチケットの購入が義務付けられた」
 というニュースだ。クラブ側の発表によれば、「数万人の子供が押し寄せれば、治安上の保証が出来ない」というのがその理由のようだが、私はこの決定に大いに反対である。
( ー 中 略 ー )
 物心がつく前の創造力豊かな子供達がスタジアムに足繁く通い、自然にフットボールを愛するようになり、大人になっていく。スペイン・フットボールの強みは、そのサイクルにある。祖父から父、父から息子へと脈々と受け継がれる“フットボールの血”だ。その系統をバッサリと断ち切ってしまったら、後々に禍根を残すのは間違いない。
( ー 中 略 ー )
 フットボールは裕福な人間だけのモノではない。この世界を支えているのは、幼少時にスタジアムで興奮を覚えた子供達であり、その子供が成長した大人である。それは選手であれ、新聞記者であれ、レフェリーであれ、クラブスタッフであれ、フットボールに関わる誰もが同じはずだ。
( ー 中 略 ー )
 スタジアムで魅力的なフットボールを見せれば、その子供達はこれから何十年もフットボールにお金を落とし、更にはその息子や孫がこの世界を支えてくれる。何故、こんな簡単なことが分からないのか。
 少々暑く語ってしまったが、「7歳以下の子供には無料で試合を見せるべき」というのは、私の譲れない見解である。】

迂闊に「天才」などという 言葉を使ってはいけない
●世界各地から逸材をかき集めているバルサ・カンテラの中でも、眩い輝きを放つ久保君。いまは静かに、彼の成長を見守りたいものだ。
 【話を戻すと、シウダ・デポルティバでは、ニコラスのプレーをフランと一緒に観戦していたのだが、私はすぐに同じチームにいた日本人選手、タケフサ・クボのプレーに目を奪われた。正直に言うが、彼のカリダード(プレーセンス)は驚くべきレベルにある。
 タケ・・・。チームメイトからそう呼ばれる12歳の少年は、世界中から集まって来た同年代の選手の中にあっても、ずば抜けていた。左足で完全にボールとスペースを支配し、攻撃のリズムを巧みに操る。フェイントが終わる前にシュートモーションに入るその動きのキレや判断のスピードは、特筆に値するモノがあった。フットボールを知る者であれば、モノの5分で如何に才能豊かな少年かが分かるだろう。
 聞けば、既にバルセロナでは「日本のメッシ」などと絶賛されていると言う。勿論、アレだけのプレーができるのだから、周りが騒ぎたくなる気持ちも分からないではない。
 タケは、私が過去に見てきた日本人特有の慎ましさ、遠慮、あるいは弱気な部分を全く見せなかった。ピッチではスペイン人の選手より大きな声を出し、レフェリーの判定にも堂々とした態度で抗議する。その猛々しさは少々面食らうほどだった。日本人と言うよりもスペイン人、もしくはスペイン人の中でも気は強いほうに見えたが、ピッチの中で自己主張を続けるのは、決して悪いことではない。
 バルサのスカウトがタケをマシア(下部組織の選手の寄宿舎)に連れてきたのは、必然の結果だったのだろう。マシアは世界各地から選手を招き入れ、人種や国籍にこだわらない自由な雰囲気の中で選手を育てている。いわば、大人でも子供でも誰でも自由に参加できた、昔のストリートフットボールに近い環境が作られているわけだ。
 ただ、ひとつだけ言わせてもらえば、タケは優れたカリダードを持ってはいるが、それはマシアにいる子供たち全員に言えることでもあるのだ。今はタケの技術が僅かに抜け出ていたとしても、10代前半では1カ月、いや1週間で立場が逆転するケースもある。
 バルサ以外のクラブにも、スペインでは同じくらいの技術を持った少年は山ほどいる。だからこそ、10代前半の少年に対し、迂闊に「天才」などという言葉を使ってはいけないのだ。
 私はタケと同年代のカテゴリー(13歳以下)のチームを率いた経験があるが、どんな町のチームにも、大人をハッとさせるカリダードを持った子供は必ずいた。しかし、その才能が心身の成長とともにどういった曲線を描くかは、なかなか分かりにくい。少年の性格や家庭環境、あるいは身体的な遺伝子など、そこにはいくつもの要素が複雑に絡み合ってくる。
 タケやニコラスには、今後も互いに切磋琢磨しながら才能を伸ばしていってもらいたい。なぜなら、フットボールの未来を担うのは彼らだからだ。子供の可能性は無限大。改めてそのことを肝に銘じておきたい。

子供達の無垢な問いには あの名手も思わず本音を・・・
●子供達からの質問に本音がポロリ。「マドリーに残りたいが、今後もいまの状況が続けば」と、カシージャスは冬の移籍を示唆した。
 【レアル・マドリーのGK、イケル・カシージャスの発言についても、少し触れておこう。
「もしこのままの状況が続けば、12月には進退を考えなければならない」
 以前、このコラムで“予言”したことが現実になろうとしている。
 当然といえば当然だろう。カシージャスほどの名手が、“カップ戦要員”などという待遇を承伏(しょうふく)できるはずがないのだ(編集部・注:カルロ・アンチェロッティ監督は、チャンピオンズ・リーグでの先発起用を明言)
( ー 中 略 ー )
 ちなみに、今回この話をカシージャスから聞き出したのは、幼い子供である。そもそも、マドリーやバルサの有力選手は近年、独占インタビューをほぼ受けていない。
( ー 中 略 ー )
イケルはマドリーを出ていっちゃうの?
 ある子供の無垢な問いに対し、思わず本音を漏らしてしまったのだろう。もし質問の主が目をギラギラさせた新聞記者だったら、今回のようにカシージャスの心の内を覗くことは不可能だったはずだ。
 やはり、子供の力というのは偉大だ。多くのジャーナリストが聞きたくても聞けなかったコメントを、いとも簡単に引き出してしまったのだから。
 ロセイ会長、やはり子供達を無下に扱ってはいけないと思いますが、いかがでしょう?】 《この項・了》




《ワールドサッカーダイジェスト:2013.11.21号_No.399_記事》
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BRASIL 2連戦で見えたセレソンの「光明」 [THE JOURNALISTC]

カンピオナット  《ロドリゴ・ブエノ記者》
指揮官更迭も囁かれていたセレソンに、文字通りの「光明」が差し込んだ。イラク、日本と戦った10月の連戦で、約2年ぶりの代表復帰となったカカを軸とする攻撃カルテットを中心に、圧巻のパフォーマンスを見せたのだ。

サプライズはカカの大活躍 指揮官の判断は正しかった
2連戦で内容の伴った勝利。とりわけ素晴らしかったのが、オスカール⑩、ネイマール⑪、フッキ⑳、そしてカカ⑧の攻撃カルテットだ。
【】

この2連戦で成功を収めた 4-2-4-0を基本形に
【】

CWCに臨むコリンチャンス チェルシーとも互角の戦いを
傑出した選手はイナイが、総合力が高いコリンチャンス。ブエノ記者はチェルシーとも互角の勝負ができると言う。
【12月6日開幕のクラブワールドカップ(CWC)に参加するコリンチャンスの近況もお伝えしておこう。
 7月4日にコパ・リベルタドーレスを初制覇して以降、コリンチャンスはカンピオナット・ブラジレイロ(ブラジル全国リーグ)を戦いつつ、“世界一決定戦”に向けた調整を続けている
 序盤戦にコパ・リベルタドーレスを優先しBチームで戦って出遅れたうえ、既に来年のコパ・リベルタドーレス出場権を獲得(前年優勝枠)してモチベーションが落ちているせいか、カンピオナットは34節終了現在で8位。優勝の可能性は消滅したが、降格の心配もない。
 10月末までは主力選手を適度に休ませて来たが、11月以降は基本的にベストメンバーで戦い、CWCへ向けてコンディションを上げていく予定だ。
 コパ・リベルタドーレス終了後に起きた最大の変化は、守備の要だったCBのL・カスタン(ASローマへ)と、攻撃の組み立て役を担っていた攻撃的MFのアレックス・メスキーニ(カタールのアル・ガラファへ)の退団。その穴は新戦力ではなく既存戦力で埋めており、L・カスタンの後釜には強くて状況判断に優れたパウロ・アンドレが、アレックスのポジションには高度な技術とプレービジョンを兼備するドグラスが座り、いずれも期待通りのプレーを見せている。
 現在の不安は、筋肉系の故障で長く欠場していた2トップのエメルソン(元浦和レッズなど)とジョルジ・エンリケのコンディション。いずれも10月下旬に戦列復帰したが、日本への“凱旋”へ向けて闘志を燃やすエメルソンは兎も角、J・エンリケは復調に手間取っている。
 ただ、仮にJ・エンリケが万全の状態まで回復しなくても、代役には事欠かない。抜群の勝負強さを武器に急成長中の21歳のロマニョーリに加え、コパ・リベルタドーレス終了後にはCWCを見据えてペルー代表のパオロ・ゲレーロ(ハンブルガーSVから)、アルゼンチン代表のファン・マヌエル・マルティネス(ベレス・サルスフィエルドから)を獲得しており、攻撃のオプションが増えているからだ。傑出したストライカーはいないが、それぞれ個性が異なり粒揃いと評価できる。
 何よりも心強いのは、攻守両面で貢献する“チームの心臓”、パウリーニョとラウフの両ボランチがいずれも好調を維持している点。とりわけパウリーニョはセレソンで定位置を掴み、更に自信を深めている
 決勝での対戦が有力視されているチェルシーの攻撃陣は確かに強力だが、コリンチャンスの守備力は南米随一で、十分に対抗できるはず。決勝でバルセロナに0-4で大敗した昨年のサントスの二の舞は、おそらく踏まないだろう。総合力はコパ・リベルタドーレスを制覇した頃よりも確実に上がっており、チェルシーとも互角かそれに近い勝負ができると私は見ている。
 今回のCWCは、コリンチャンスのクラブ史上、最も重要な大会だ。世界一の栄冠を掴むため、クラブは考えられる限りの手を打っている。《サッカーのそれ(CWC)はどこかのWBC?とは訳が違う。》
 全国に3500万人以上いると言われるコリンチアーノ(コリンチャンス・ファン)は、開催国枠で出場して見事に優勝を飾った第1回の2000年大会に続く戴冠を熱望しており、約2万人が地球の裏側まで応援に駆け付ける予定。日本在住のブラジル人にもコリンチアーノは多く、彼らも愛するクラブの到着を今か今かと待ちわびていると聞く。熱烈なサポーターの声援を背に、選手達は全身全霊を傾けて戦うはずだ。
 日程面ではコリンチャンスが有利。チェルシーは11月3日以降の36日間にプレミアリーグを7試合、チャンピオンズ・リーグを3試合の計10ゲームをこなす強行日程だ。12月8日のサンダーランド戦(プレミアリーグ16節)を終えてからようやくイングランドを飛び立ち、9日に日本に到着する予定だが、13日の準決勝まで中3日しかない
 対してコリンチャンスは、11月4日から12月2日までの29日間にカンピオナットの5試合を消化するだけ。12月3日深夜にサンパウロを出発し、UAEのドバイ経由で、5日に名古屋入りする予定。6日間の調整を経て、12日の準決勝に臨む。心身共によりフレッシュな状態で大会に臨めるのは、大きなアドバンテージとなるはずだ
 コリンチャンスの関係者とサポーターの頭の中には、既に“世界一への道筋”がハッキリ見えているようだ。】 《この項・了》




《ワールドサッカーダイジェスト:2012.12.6号_No.376_記事》
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BRASIL “欧州行き”は3年後でも遅くない [THE JOURNALISTC]

カンピオナット  《ロドリゴ・ブエノ記者》
バルサとマドリーが争奪戦を繰り広げ、欧州行きは間近と伝えられるサントスのFWネイマール。しかし、ブエノ氏はこれに警鐘を鳴らす。“かつての期待の星”の現状を考えても、欧州行きは3年後でも遅くない、と___。

19歳の“ジョイア”を巡る 大西洋をまたいだクラシコ
サッカーに興味のない女性のファンも多く、今やロックスター並みの人気者。姿を見せればサインや写真攻めに。
今、ブラジル国内でサッカー界の枠を超えた人気と注目を集めている男がいる。1994年に帰らぬ人となった伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナ以来の“国民的ヒーロー”と評す声すらある。
 トレードマークは、高さ9㌢のモヒカンヘア(髪の立ち方が気に入らない時は、帽子を被る)。流行のファッションに身を包み、愛車はポルシェ。いつも笑顔を絶やさず、ふざけてばかりいる。一見すると、いかにも今風の若者。“無骨で垢抜けない”というこれまでのサッカー選手のイメージとは、一線を画している。
 弱冠19歳にして名門クラブの看板を背負い、ブラジル代表でも欧州組を押し退けて堂々たるレギャラ−。驚異的なテクニックとプレービジョンを武器に百戦錬磨の猛者を手玉に取り、易々と得点を挙げる。趣向を凝らしたダンスを披露し、実に楽しそうにゴールを祝う。「サッカーをするのが楽しくてタマラナイ」という気持ちが、全身から滲み出ている。
 推定年俸は1200万レアル(約5億円。クラブが管理する肖像権料込み)。大手企業のCMに出演し、テレビの人気バラエティー番組に呼ばれ、週刊誌やファッション誌の表紙を飾る。サッカーファンからはクラブの垣根を越えて愛され、サッカーにあまり関心がない少女達からもロックスター顔負けの人気を集める。
 それが“ジョイア(宝石)”こと、サントスのFWネイマールである。
 この超逸材を巡って、激しい争奪戦を繰り広げているのが、スペインのレアル・マドリーとバルセロナ。大西洋をマタイでの、エル・クラシコだ。
 両クラブがネイマール獲得に本腰を入れたのは、コパ・アメリカ終了後の今年8月だった。双方がサントスに提示した移籍金は、現行契約が定める移籍金の満額に相当する4500万ユーロ(約54億円)。マドリーは、ジョゼ・モウリーニョ監督自らネイマールに電話を入れ、8月中の加入を打診したと言われている。
 しかし、サントスは今年末のクラブワールドカップ優勝は勿論、クラブ創立100周年を迎える来年のコパ・リベルタドーレス連覇を目標に掲げており、今夏に大エースのネイマールを手放す意思が微塵もなかった。ネイマール本人もこれに異存はなく、8月末にサントスのルイス・アウバロ・リベイロ会長は、両クラブに「今ネイマールを売るつもりはない」と断りを入れたという。
 その後、先に動いたのがバルサ。・・・(略)・・・、サントスのリベイロ会長とネイマールの父親に直に接触。移籍金6000万ユーロ(約72億円)、肖像権料別の年俸580万ユーロ(約7億円)という破格の条件で、2013年1月の移籍を申し入れた。
 9月初旬、この情報を元にブラジルの一部の新聞は、「ネイマールの移籍に関して、サントスとバルセロナが合意した」と報じている。
 対するマドリーは、すぐに反撃する。交渉相手はサントスではなく、代理人のワグネル・リベイロ。移籍金(6000万ユーロ)は同額だが、肖像権料別の年俸は700万ユーロ(約8億4000万円)と、バルサよりはるかに多い。
( ー 中 略 ー )
 そして、こんな記事が紙面を埋める。
「サントス、ネイマール、レアル・マドリーの3者は、既に移籍条件の細部に至るまで合意している。しかし、それが明るみに出ると都合が悪いので、この事実を必至に隠している」
 この情報の信憑性を裏付けるのは容易に想像できる思惑だ。サントスのリベイロ会長にとって今最大の関心事は、再選を目指している今年12月の会長選挙。
( ー 中 略 ー )
 こうして移籍報道が日に日に過熱する中、9月19日にネイマールがサントスのクラブハウスで緊急記者会見を開き、キッパリとこう言い切った。
国外のどのクラブとも交渉していないし、勿論合意にも達していない。僕はサントスの選手であり、来年もここでプレーしたいと思っている。次の移籍シーズン(来年1月)にもサントスを出るつもりはない
 少なくとも来夏まではサントスの留まるつもりだと本人が明言したこの会見で、一連の移籍報道はようやく沈静化したのだった。

会長と代理人は兎も角 本人と父親の意向が___
実力は勿論、スター性も抜群のネイマール。今夏のバルサとマドリーが引き抜きを画策したが、結局はサントス残留に落ち着いた。
【11歳からサントスの下部組織で育ったネイマールに、欧州のクラブが初めて触手を伸ばしたのは、彼が未だ13歳だった05年。ネイマールを入団テストに招いたマドリーが、その類稀な才能に驚愕し、丁度バルサがリオネル・メッシを迎え入れた時と同じように、家族ごとスペインに連れて来ようと画策したのだ。
 マドリーのこの企みを察知したサントスは、法的にはプロ契約が不可能な年齢ながら、契約金として父親に100万レアル(約4200万円)を手渡し、更に事実上の給料として毎月2万5000レアル(約105万円)を支払うと約束。慰留したとされている。
 09年にプロデビューを飾ってからは、ACミラン、インテル・ミラノ、ユベントス、パリ・サンジェルマンなどから獲得の打診があった。・・・(略)・・・サントスと15年8月まで契約延長し、違約金は4500万ユーロ(約54億円)まで引き上げられた。
 現在、ネイマールの移籍交渉がこれだけ複雑化しているのは、第一にサントスのリベイロ会長が「できるだけ高く売りたい」と考えているから。
( ー 中 略 ー )
 たしかに、今年のクラブワールドカップ、更に来年のロンドン五輪で戴冠に貢献すれば、その価値は間違いなく更に高騰するだろう。
( ー 中 略 ー )
 移籍交渉の窓口となるワグネル・リベイロは、前述した通りマドリー寄りの代理人。自分に無断で父親やサントスと接触したバルサに憤慨しており、今後もこれまでと同じくマドリー移籍の方向で動いていくだろう。
 一方、ネイマールの父親と本人の意向は、なかなか見えて来ない。ネイマールは「サントスでとても幸せ。できるだけ長くここでプレーしたい」と繰り返すばかり。将来的な欧州メガクラブへの移籍を夢見ているのは間違いないが、マドリーとバルサのどちらを希望しているのか、判然としない。
 では、ネイマールはいつどのタイミングで、どこに移籍するのが望ましいのか___。
( ー 中 略 ー )仮に来年1月に加入するなら、より出場機会がありそうなマドリーを選択すべきか。
 とはいえ、チームが半ば固まっているシーズン途中の加入は、どんな選手にとっても容易ではない。移籍時期は来夏が妥当だろう。

3年後のW杯を戦ってから 満を持してのタイミングで
代表デビューから僅か1年で確固たる地位を確率。10月7日のコスタリカ戦でも決勝点をマークした。
私の本心を打ち明ければ、ネイマールにはできるだけ長くサントスでプレーして欲しいと心から願っている。今やこの“ジョイア”はブラジル・サッカー界の象徴的存在であり、その去就いかんで国内サッカーの盛り上がりに雲泥の差が出るはずだからだ。
 サッカー界の中心は欧州であり、真のワールドクラスとなるには欧州に渡る必要がある−ー−。
 そんな近年の常識は果たして真実なのか。欧州でプレーしなければ、本当の超一流プレーヤにはなれないのか。欧州への移籍が、全ての選手にとってステップアップに繋がっているのか。我々ブラジル人は、これらの問いを造作もなく打ち消せる。
 05年夏に21歳のロビーニョが移籍金2400万ユーロ(当時のレートで約35億円)でマドリーに新天地を求めた時、メガクラブで大きな成功を収め、いずれ世界ナンバー1の選手に成長するだろうと、多くのブラジル人が夢を見た。結果はご存知の通り。
( ー 中 略 ー )
 07年夏、弱冠17歳にしてインテルナシオナウからミランに電撃移籍したアレッシャンドレ・パットもまた、
( ー 中 略 ー )
 最も悲惨な例は、バイエルン・ミュンヘンのブレーノだろう。
( ー 中 略 ー )度重なる怪我で精神のバランスを失い、妻との不和も重なって今年9月下旬、自宅への放火容疑で警察に身柄を拘束されるという悲劇の運命を辿っている。
 サンパウロで確固たる地位を築き、肉体的にも精神的にも成熟してから欧州に渡っていれば___。少なくとも、自宅への放火というエキセントリックな事件は起こさなかっただろう。
 事情は多種多様だが、若くして欧州のメガクラブに移籍しながら、伸び悩んでいる“かつての期待の星”は枚挙に暇がない。むしろ、近年はそんなケースが増えている印象すらある。
 国内に留まっても、クラッキには成れる。既にネイマールは、欧州へ渡った先輩達を追い越してセレソンで絶対的な地位を確立。驕り高ぶらずに心身両面を磨いていけば、母国にいながら“世界ナンバー1”の称号を得るのも不可能ではないはずだ。時代錯誤に聞こえるかも知れないが、サントスの偉大なる大先輩であるペレは、約40年前にそれを成し遂げている。
 ブラジルの急速な経済成長と欧州通貨に対するレアル高を背景に、ネイマールのようなスター選手は、今や国内でも欧州と遜色のない高給を得られる。少なくとも、マネーを理由に欧州行きを決断する理由は見当たらない。
 何も私は、ネイマールが選手生命を国内で全うすべきだと言いたいわけでは決してない。ただ、実現性が低いのは百も承知だが、せめて14年ワールドカップまではサントスに留まったほうが、賢明だと考える。
 ネイマールがワールドカップで大車輪の活躍を演じてセレソンを戴冠に導けば、その年のFIFAバロンドール受賞も夢ではないだろう。3年後でも未だ22歳。それから満を持して欧州へ渡っても決して遅くはないと、私はそう考えている。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.11.3号_No.350_記事》
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FRANCE スモールクラブのロビン・フッド [THE JOURNALISTC]

リーグ・アン  《フランソワ・ヴェルドネ記者》
フランス代表のスター選手を息子に持つだけではない。自身もロリアンの指揮官として、確固たる評価を勝ち得ているクリスティアン・グルキュフ。何者にも屈服しない強い反骨精神は、あのロビン・フッドを想起させる。

僅か4年で6部から2部 更に1部に定着させる
国際的な知名度は息子ヨアンに及ばないが、フランス国内でのグルキュフ監督の評価は非常に高い。心優しく、気骨のある人間的魅力も、人々の尊敬を集める理由だ。
【グルキュフ親子と言えば、現在25歳になる息子、ヨアンのほうが世界的には有名だろう。フランス代表で28キャップ・4ゴールの実績を持ち、昨夏にはクラブ史上最高額となる2400万ユーロ(約28億8000万円)でリヨン入りしたハンサムガイ。20歳の時に、イタリアの名門ACミランに引き抜かれるなど、その才能は早くから評価されていた。
 しかし、ボルドーを経て移籍したリヨンでは、左足のくるぶしに負った怪我の影響もあり、入団以来、まったく精彩を欠いている。ロラン・ブラン監督(現フランス代表監督)の下、眩い輝きを放っていたボルドー時代の雄姿は、今や見る影もない。
 これに対してヨアンの父、クリスティアン・グルキュフ(56歳)は、国際的な知名度こそ高くないが、ここフランスでは経験豊富な監督として一目置かれる存在だ。8年前に古巣ロリアンに戻って来てからというもの、このフランス北西部のスモールクラブで毎シーズンのようにミラクルを起こし、指導者としての評価を高めている。
 フランスで長期政権を築いた監督と言えば、40年以上に渡りオセールを指揮したギ・ルーが有名だが、この名伯楽が2005年に勇退して(07-08シーズンに1カ月余り、RCランスの監督を務めた)からは、グルキュフがその代表格と見なされている。ロリアンを率いるのはこれが三度目で、“メルリュ”(訳者・注:ロリアンのあるブルターニュ地方の沿岸で獲れるタラ科の魚で、クラブの愛称。クラブロゴにはこの魚が描かれている)の指揮官としてのキャリアは、合計で22年に及ぶ。
( ー 中 略 ー )
 特筆すべきは、初めて監督を引き受けた82年当時に、6部に相当するディビジョン・ドヌールに落ち込んでいたチームを、僅か4年でリーグ・ドゥ(2部)まで引き上げ、更に第2次政権時代の98-99シーズンにトップリーグにまで導いたことだ。現在の第3次政権に入ってからは、チームをリーグ・アンに定着させるとともに、ショートパス主体の確固たるスタイルを植え付けることに成功している。】

弱者の立場で物事を見つめ 大衆の一員であり続ける
カネにまみれたこの無機的な業界にあって、グルキュフは稀有(けう)な理想主義者であり、その頑固さは相当なものだ。資金力に乏しい恵まれない環境下でも、美しいプレーを追求し、理想の実現のためにあらゆる努力を惜しまない。
 興味深いのは、そんな指揮官に率いられたロリアンが、カタール王族の莫大な資金を元手に大型補強を敢行したパリ・サンジェルマン(以下PSG)を、リーグ・アンで唯一、破っている(1-0)ことだ。・・・(略)・・・。してやったりのグルキュフは、試合後の記者会見で得意気に語っている。
大金を注ぎ込んでビッグネームをかき集めたからといって、必ずしも勝てるわけではない。今日、我々はそのことを証明してみせた
 煌びやかな衣装で飾り立てた首都のクラブに対し、グルキュフはカネが全てではないと、アンチテーゼを投げ掛けたのだ。
何よりも私は、美しいプレーに価値を見出す。そして我々は、美しさを追い求めながら、ここリーグ・アンで存在感を示したいと思っている。どうやらこの世界では、カネこそが全てと考えられているようだが、私は既成概念や定説といったものを打ち破るのが大好きなんだ
 こうした発言は、何もPSGだけを攻撃するものではない。カネに飽かせた派手な補強に踊らされ、必要以上に騒ぎ立てるメディアを痛烈に批判してもいる。彼の言葉の裏には、カネにモノを言わせて大物を買い漁るのは、真の補強ではないという皮肉が込められているのだ。
 事実、グルキュフは限られた資金を効果的に使い、チームを強化する術を心得ている。「日曜日のマルシェ」(訳者・注:日曜日に開催される青空市場を巡って、必要なものを一つひとつ買い揃えていく行為)宜しく、本当に必要で、しかも高品質の素材を厳選し、買い揃えていくわけだ。こうしてロリアンに入団した選手達は、グルキュフの下で歳月をかけて才能を磨き、一人前の選手に育っていく。
 その中には、後にビッグクラブに引き抜かれたタレントも少なくない。現にこの夏にも、複数のビッグクラブがロリアン詣でを敢行し、活きの良いメルリュを競り落としていった。
 その代表格がケビン・ガメイロだろう。昨シーズンにリーグ2位の22ゴールを挙げたフランス代表FWは、PSGに1100万ユーロ(約13億2000万円)で買い取られた。グルキュフがこの小兵戦士(1㍍72㌢)の才能を見抜き、ストラスブールから獲得したのは3年前のことである。
( ー 中 略 ー )
 ロリアンの指揮官は、己の信念を曲げない気骨のある男だ。金持ちを蔑(さげす)み、大衆の代表者であるかのように振る舞うその姿は、どこかロビン・フッドを想起させる。カネに侵された盲目の王国にあって、彼は自分の価値観でのみ動く片目の王様なのだ(訳者・注:「盲目の王国では、片目しか見えなくても王様」というフランスの諺から)
( ー 中 略 ー )
 常に弱い者の立場で物事を見つめ、大衆の一員でありたいというスタンスは、グルキュフが若い頃から持ち続けている人生観に基づいたモノだ。選手兼任で監督を務めていた頃には、サッカーと並行し、元々の職業だった数学教師の仕事にも従事していた。これは経済的な理由以上に、一般社会との接点を持ち続けたいという気持ちと、教育の現場から離れたくないという思いからだった。
 グルキュフとは、ブルトン語(訳者・注:かつてブルターニュ地方で用いられていた言語)で「親切な男」という意味だが、彼はまさに気さくで庶民的な男である。私自身、そんな人柄に直に触れた経験がある。あれは98年だから、もう13年も前のことだ。
 私は同僚の記者やカメラマンと共に、リーグ・アン初昇格を決めたばかりのロリアンの取材に出掛けた。この時、監督のグルキュフは我々を自宅に招き入れ、当時11歳だった息子ヨアンの宿題を見てやりながら、自らが実践しているトレーニング法を事細かに解説してくれたのである。
 勿論、あの時、父親の横にちょこんと座り、その言葉に熱心に聞き入っていた勤勉そうな少年が、後にフランスを代表するスター選手になろうとは想像ダにしていなかったが___。

学生時代から親交のある ヴェンゲルとの信頼関係
グルキュフが発掘し、育て上げ、そして羽ばたいていったタレントは少なくない。今夏にPSGに引き抜かれたガメイロもその一人だ。
ヴェンゲルとは強い信頼関係で結ばれており、ここ数年はアーセナルとの間で難件もの取引が成立している。
指揮官グルキュフの一番の強みは、飽くなき探究心だろう。長期の休みが取れると、お忍びで旅に出掛け、世界のあちこちから様々なアイディアを調達してくる。例えば、自身が愛して止まないブラジル・フットボールの真髄を探るべく、南半球のこのサッカー王国にまで何度足を運んだか知れない。また90年代には、ミラノに出向いてアリーゴ・サッキ(当時のACミラン監督)のトレーニングを食い入るように見つめ、ファビオ・カペッロ監督時代のレアル・マドリーの練習にも視察に訪れたことがある。
 こうした探究心の強さは、親交の深いアーセン・ヴェンゲルと通じる部分があるだろう。ふたりはグルキュフが大学のフランス選抜だった70年代からの付き合いで、当時ヴェンゲルもストラスブール大学で経済学を専攻する学生フットボーラーだった。その後は別々の道を歩むこととなったが、きっとウマが合うのだろう。今でも公私に渡る付き合いが続いている。
( ー 中 略 ー )
 この件だけではない。ロリアンがリーグ・アンで結果を残し始めた数年前からは、ふたりは頻繁に仕事上でも接点を持ち、アーセナルとロリアンとの間ではいくつもの取り引きが成立している。
 例えば昨夏には、ロリアンの守備の要だったCBロラン・コシエルニーを、アーセナルが1100万ユーロで獲得。そしてそのお返しとばかり、ガンナーズは若いフランシスコ・コクランを、ロリアンに1年ローンで差し出している。
( ー 中 略 ー )
 ヴェンゲルはこの夏にも、コスタリカの俊英ジョエル・キャンベルを、レンタルでグルキュフに託した。今夏のU−20ワールドカップで見初め獲得したものの、英国が定める労働ビザ発給の基準に満たないため、当面、ロリアンという“保育所”に預けることにしたのだ。このカリブ海の将来性豊かなアタッカーは、リーグ・アン9節のヴァランシエンヌ戦で初先発すると、22分に鮮やかな先制ゴールを決め、チームの勝利に大きく貢献している。
 ジェレミー・アリアディエールをグルキュフに託したのも、ヴェンゲルの信頼の表れだろう。
( ー 中 略 ー )
 グルキュフとヴェンゲルは、良く似たフットボール観を持っている。どちらもテクニックを重視し、美しいプレーを好む。共感し合える部分が多々アルからこそ、これだけ深い信頼関係を築けているのだろう。
 既にリーグ・アンはシーズンの4分の1を消化しようとしているが、グルキュフ率いるロリアンは6位と好位置に付けている。
( ー 中 略 ー )
 オフェンスを支えていたガメイロとアマルフィターノの両主軸を失い、開幕前には誰もが、「苦戦は免れまい」と予想していたが、ここまではその下馬評を覆す上々の結果である。この調子で行けば、リーグ・アン最大のサプライズになるかも知れない。ブルターニュ沿岸の海流には、どうやら今シーズンも警戒が必要なようだ。】 《この項・了》




《ワールドサッカーダイジェスト:2011.11.3号_No.350_記事》
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GERMANY ラングニックを襲った精神的な病 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
ブンデスリーガ  《ルドガー・シュルツェ記者》
シャルケのラングニック監督が9月22日、精神的な疾患を理由に辞任を表明した。重度のプレッシャーや巨大なストレスが、激情家であり、完璧主義者でもあるプロフェッサー(=教授)を少しずつ追い込んでいたようだ。

“最悪の事態”に陥る手前で 決断を下したのは賢明だ
過度のストレスや重圧で精神が蝕まれ、「気力が失われた」と告白。精神的な疾患を理由にラングニックがサッカー界に別れを告げた。
【あの日から、もうすぐ2年が経とうとしている。
 2009年11月10日、ドイツ代表のGKロベルト・エンケは、ハノーファーの自宅近くの踏切に自ら進入し、32歳の若さでこの世を去った。自殺の理由は、重度の鬱病___。未だ幼かった愛娘を難病で失っただけではない。彼を悩ませていた最大の原因は、「試合には絶対に負けられない」、「ミスは許されない」、「ファンの期待は裏切れない」など、常日頃から感じていたプレッシャーだった。この精神的重圧が、自殺の引き金となったのである。
 目に見えない、いわば世間のトゲに我が身が傷つけられて行くことに、彼は耐えられなかった。皮肉にも、その世間は彼の衝撃的な死に心から同情し、スタジアムで執り行なわれた葬儀には、アンゲラ・メルケル首相を初め、数万人ものファンが参列して名GKの死を悼(いた)んだ。そしてエンケの自殺を機に、それまでドイツ社会でタブー視されていたテーマが、ようやく日の目を見ることになる。精神的疾患のデプレッション(鬱病)は現在、骨折や肺病などと同じような一般的な病気となった。
 世の中の理解がようやく深まり、鬱病を隠さない時代になりつつあるとはいえ、シャルケ04のラルフ・ラングニック監督が9月22日、突然、精神的な疾患を理由にサッカーの世界から退くと発表したのは、大きな驚きだった。クラブの公式ホームページでラングニックは、自らの状況をこう説明した。
「私には休養が必要だ。私のエネルギーレベルは大きくダウンした。チームを成功に導こうという気力が、失われてしまったのだ」
 チームドクターの所見によれば、『自律神経系の消耗症候群』。一般的には『バーンアウト』(燃え尽き症候群)として知られる病気である(編集部・注:慢性疲労症候群の可能性も取り沙汰されている)。鬱病と同じように扱われることもあるが、それは誤った解釈だ。バーンアウトは満ち溢れていたエネルギーと情熱が失われる病であり、鬱病に特徴的な「自分は何をやってもダメだ」という自責感はない。責任感が強く、精力的に仕事をこなすタイプの人に起き易いのがバーンアウトである。ただ、バーンアウトから鬱病に発展するケースも、少なくないと言われている。
 エンケは自殺する数日前から抗うつ剤を処方され、服用していたそうだ。またハノーファーの第2GKマルクス・ミラーもメンタル面に問題を抱えており、4年前にはバイエルン・ミュンヘンのスター選手、セバスティアン・ダイスラーが鬱病を理由に現役を引退するなど、精神的な疾患に苦しむサッカー界の人間は少なくない。
 幸いにもラングニックは、薬を服用したり、通院したりする必要はないそうだ。仕事上の過度のストレスが原因で第一線を退いた、ドイツ初のサッカー監督となった彼が、いずれにしても賢明だったのは、“最悪に事態”に陥る手前で自らブレーキを駆け、進んで休養に入ったことである。

サッカー漬けの毎日を送り 燃え尽きてしまったのか
【鬱病とバーンアウトが多発するサッカー界は、“非人間的な”世界___。こうしたイメージを抱いている方は、少なくないだろう。現代社会に目を移すと、ドイツ人の4人に1人は生涯を通じて何らかの形で精神的な障害に直面し、10人に1人は鬱病を患っているのが現実だ。それを踏まえれば、サッカー界は未だ「被害規模の小さい世界」と思われるかも知れないが、選手や監督にのしかかるプレッシャーが、税務署の役人や新車開発のエンジニア、大企業の営業マンの比でないのは明らかである。1980〜90年代、名将と謳われたエルンスト・ハッペルやブランコ・ゼベッチ、ウド・ラテックらは重圧から逃れるために大量のアルコールを摂取し、またクリストフ・ダウムは禁断の麻薬に手を出した。
( ー 中 略 ー )
 当時のドイツで主流だったのはリベロを置くシステムで、マンツーマン・ディフェンスが基本だった。そんな時代に彼は、「リベロは間もなく時代遅れとなる。ドイツはリベロを置く意味を失うだろう」と断言。その代わりに「フラット4で戦えば、守備と攻撃に柔軟性が生まれる。よりテンポの速いサッカーが実践できるこの戦術が、いずれ主流になる」と予見した。
 この発言に、伝統的な戦術に固執する“守旧派”が反発。ベテランの監督達は若き理論家ラングニックを精一杯の皮肉を込めて『プロフェッサー(教授)』と呼び、時代の先を行く彼に対抗意識を燃やした。
 だが、ほどなくしてラングニックの予見は的中する。リベロは完全に過去のモノとなり、フラット4全盛の時代に突入したのだ。こうして誰もがラングニックの先見性と専門性を認め、彼は戦術家の第一人者となった。
 この男の監督業にかける並々ならぬエネルギーと綿密さは、度を超していた。彼の仕事に終業時間はない。朝から晩まで、寝ても覚めてもサッカーの事ばかりを考え、働いていた。睡眠時間を削るのは当たり前で、24時間全てがサッカーを中心に回っていたと言っても過言ではないほどだ。ビデオで相手を研究する、国外のリーグ戦をチェックする、有望な若手を求めてユース大会を視察する、そこで未来のスターを発掘する・・・と休まる時がない。
( ー 中 略 ー )
 ・・・(略)・・・。文字通りサッカー漬けの毎日だった。
(魂が)燃えている人間だけが、前に進めるのだ
 ラングニックが以前、語っていた言葉である。情熱を注ぎ過ぎた彼は、その分、誰よりも早く燃え尽きてしまったのかも知れない。

シャルケ復帰を決めたのは “仕事中毒患者”だからだ
フェーアマンを含め新戦力は軒並み小粒。求める人材を確保できなかったストレスも、ラングニックを追い込んだ要因のひとつか。
ラングニックの後任として迎えられたのはステフェンス。97年にシャルケをUEFAカップの頂点に導いた監督だ。
ラングニックという指揮官を語るうえで忘れてならないのは、ドイツ南西部の田舎町を本拠地とするホッフェンハイムを率いていた頃の仕事ぶりだ。僅か3年という短期間で弱小チームを3部から1部に昇格させたのは、“ラングニック・プロジェクト”の真骨頂だった。この成功は、クラブのパトロンであり『SAP』(ソフトウェア会社)の社長であるディトマール・ホップの財政面での全面的なサポートと、ラングニックの指導力を抜きには絶対に成し得なかった。
 だが、ホッフェンハイムとの決別は突然訪れる。・・・(略)・・・。今年1月、ホップの身勝手な行動に大きく失望する。守備の要だったルイス・グスタボを、ラングニックに何の説明もなくバイエルン・ミュンヘンに高額で売り捌いたんぼである。
「現場の最高責任者である私に断りもなく、大事な選手を移籍させてしまうとは・・・」
 激怒したラングニックは、首脳陣と対立。契約の即刻解除を申し入れ、4年半続いたホッフェンハイムでの仕事に自らピリオドを打ったのだった。
 フリーの身となったラングニックは、「丁度いい機会かも知れない。半年ほど休養しようか」と充電期間を取るつもりだった。それはそうだろう。長年に渡り、休暇返上で激務を続けて来たのだから。
( ー 中 略 ー )
 だが3月中旬、“古巣”シャルケからの誘いに彼は考えを改め、契約書にサインする。
 シャルケとラングニックは、因縁浅からぬ関係にある。04ー05シーズン途中にシャルケの監督に就任したラングニックは、チームを2位の好成績に導き賞賛を浴びるが、嫉妬深く、全てが自分中心に回らないと気が済まない傲慢なGM、ルディ・アッサウアーと衝突。翌シーズンの途中、契約満了の半年前に解任されてしまったのだ。そんな遺恨を抱えるシャルケに戻る決心を固めたのは、やはり彼が一時も仕事から離れられない“中毒患者”だからなのだろう。
 結局ラングニックが取った休暇は、僅か2カ月だった。ただそれも、本当の意味で休養できたかは疑問だ。彼はその期間中も「ほぼ毎日試合をチェックし、選手をウォッチし、サッカーについての考えを巡らせていた」のだ。
 こうしてラングニックは、途中退任したフェリックス・マガトの後任として、古巣のシャルケに帰還したわけである。彼自身が設定していた当初の予定より、4カ月早い現場復帰だった。
 賞賛に値するのは、そこからの仕事ぶりだ。マガトの乱暴で独断的な手法によって、すっかり失われていた選手の自信を取り戻し、プレーの楽しさを再発見させ、近代的な戦術を導入してチームを瞬く間に再生させた。
 その結果が、チャンピオンズ・リーグでのベスト4進出だった。準決勝でマンチェスター・ユナイテッドの軍門に降り(トータルスコアは1ー6)、残念ながら決勝には進めなかったが、シーズン終盤にはDFBカップでファイナル進出を果たし、2部のMSVデュイスブルクを5ー0で一蹴。クラブに9シーズンぶりのタイトルをもたらした。ラングニックにとっては、自身初の栄冠だった。

 財政面の問題があるとはいえ、求める人材が確保できない状況に、「これでは私の(理想とする)チームが作れないじゃないか」と、ラングニックは次第にフラストレーションを溜め込んでいった。膨大なエネルギー(ラングニックの情熱)に対して、あまりに少ない収穫(選手)・・・。この不均衡が、完璧主義者の精神を更に蝕んでいったのだ。
 ラングニックのような「成功への願望が強過ぎる」タイプの監督は、勝利に人生最大の喜びを見出し、敗戦に人生最大の屈辱を感じるものだ。「もっと速く、もっと高く、もっと遠くへ」と日に日に選手やスタッフへの要求は増し、ひたすら勝利を追求し続ける。まるで純粋な修行僧のように。こうした一途な精神構造は、当人を“紙一重”の危ない世界へと誘い、孤独感に浸らせる。そして、しばしば病を発症させるのだ。
 巨大なストレスがのしかかるサッカー界には、人を惑わす狂気の香りが漂っている。】 《この項・了》



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ENGLAND 「夢の取り合わせ」の苦々しい終焉 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(パー)]
プレミアリーグ  《オリバー・ケイ記者》
ブルーカラーのイメージがマッチし、当初は「夢の取り合わせ」とも言われたテベスとシティ。だが、両者の仲は初めからしっくり行かず、交代出場を拒否したとされる例の騒動で、関係は完全に破綻してしまったようだ。

貧困から身を立てたテベス イメージ的にシティとは...
●問題となったバイエルン戦のベンチ。出場を拒否したと言うマンチーニ監督に対し、テベスは誤解がアッタと弁明。果たして真相は?
●アップの指示に従わず、出場を拒んだテベスに対して、マンチーニ監督は「彼がプレーすることは二度とない」と断罪。
カルロス・テベスとマンチェスター・シティ(以下シティ)は理想のカップルだ___。そう言ったのは、シティ・サポーターの私の友人だった。ナルホドと合点がいったのは、生い立ちを含めた彼のキャラクターが、シティのブルーカラーっぽいイメージにマッチしていたからだ。
 テベスがシティに入団したのは、2009年の夏。それまで2年間在籍したマンチェスター・ユナイテッド(以下ユナイテッド)と袂を分かって求めた新天地が、同じ街のライバルクラブだった。アブダビの王族を事実上のオーナーに迎え、これからのし上がって行こうという野心的なシティと、ブエノスアイレスのスラム街から這い上がって来たテベスは、その点でも似た者同士、お似合いのカップルに思えた。
テベスは貧困層の出だろう。キャラ的に、そもそもユナイテッドじゃなかったよね。どう考えても俺達(シティ)の方さ。これは神の思し召しってやつだよ。夢の取り合わせだ
 シティ・サポーターの友人が興奮気味に捲し立てた言葉を、今でもハッキリと覚えているよ。その通り、テベスとシティは神から祝福を受けた、理想のカップルのように見えた。
 スカイブルーのユニホームを着たテベスは、それこそ水を得た魚のように躍動した。1年目からゴールを量産し、昨シーズンは20ゴールで得点王に輝き、FAカップ優勝とチャンピオンズ・リーグ(CL)の出場権を、クラブにもたらした。シティを新たな高みへと導いたのは間違いない。
 その一方で、両者の関係がしっくりいっていなかったのも事実だった。・・・(略)・・・。いつしか理想のカップルは憎しみ合う仲になり、2年目を終える頃には“結婚生活”は破綻してしまっていたのだ。
 テベスにとっても、シティにとっても不幸だったのは、“離婚協議”が上手く進まなかったことだ。高額の移籍金や年俸がネックとなって受け入れ先が見つからず、移籍期限の8月31日が過ぎ去ったのは、両者にとって大きな誤算だったに違いない。
 そして、決定的な事件が起きる。バイエルン・ミュンヘン戦(9月27日のCLグループステージ2節)での例の一件は、起こるべくして起こった衝突だろう。・・・(略)・・・。
「マンチェスター・シティのためにプレーすることで、彼は大金を貰っている。それがプレーを拒んだのだ。このチームで彼がプレーすることは二度とない」
 マンチーニ監督は声を荒げ、クラブはテベスに2週間の謹慎処分を言い渡した。
 出場を拒否した覚えはなく、監督の指示が明確に伝わらなかったと、テベスはそう弁明しており、シティ側も2週間の謹慎は仮処分で、調査チームを立ち上げて真相を究明する意向を明らかにしている。
 食い違う両者の言い分を改めて整理すれば、バイエルン戦後の会見でマンチーニは次のように説明した。
「まず決めたのは、ゼコとデヨングの交代だった。その後、カルロスがウォーミングアップと出場を拒んだ。二枚目のカードとして彼を投入するつもりだった。決断するのは私で、カルロスではない」
 これに対し、テベスは試合翌日に発した声明文で、こう釈明している。
「既にウォーミングアップは済ませ、いつでも出られる状態だった。プレーを拒否した覚えはない。ベンチワークに混乱がアッタ。きっと誤解されたんだと思う」
 私が当たったテベスに近い筋も、誤解が原因だと証言している。55分にデヨングが投入された時点で、テベスは確かにアップを終えていたという。試合展開から自分の名前がまず呼ばれると、そう見越して早めに身体を作っていたのだ。
 テベスにアップの指示が出たのは、それから暫くしてからだった。しかし、テベスはベンチに座ったまま動かなかった。何故なら、既にアップを済ませていたからだ。ここで誤解が生じたと、私が取材した彼に近しい人物は語った。アップをしなかったことは、テベスにとって「いつでも行けますという」意思表示だった。一方、マンチーニとコーチングスタッフは、それを出場拒否の意思表示と受け取ったのである。
 但し、こんな事実もある。まさにアリアンツ・アレーナを出て行く道すがら、テベスは取材陣にこう漏らしているのだ。
「プレーする気分じゃなかった。だから出なかった」
 この一言は決定的だろう。仮に真意ではなかったにしても、冗談では済まされない、許されざる発言だ。フットボールを愛する全ての者への冒涜だ。
 事件の真相は、前述したシティの調査結果を待たなければならないが、ひとつだけ確かなのは、テベスとシティの結婚生活がもはや元通りにはならないということだ。

移籍を繰り返すその背景に 全てを操る代理人の存在
テベスの絶対的な信任を得ているジョオラビシアン。ボカ→コリンチャンスから始まる全てに移籍は、彼が画策したモノだ。
【テベスのこのサボタージュ行為が醸した物議の大きさは、新聞各紙の扱い方にハッキリと表われている。バックページ(一般的にスポーツ面となる裏面)だけではなく、フロントページ(第一面)や論説ページでも取り上げた新聞が殆どだった。世論の大勢はアンチ・テベスで、シティのサポーターも怒りを露にしている。
 テベスとシティの関係は、では、何故破綻してしまったのか。
 フットボールに関するテベスの行動に大きな影響を及ぼしているのは、代理人のキア・ジョオラビシアンである。テベスとシティの結婚生活を崩壊させたのは、このイラン生まれの代理人と言っても過言ではない。
 テベスのキャリアは、全てこのジョオラビシアンがデザインした作品と言えるだろう。英国で教育を受けた後、ウォール街で財を成したジョオラビシアンは、2004年に『メディア・スポーツ・インベストメンツ(MSI)』というスポーツ関連の投資会社を設立。そのMSIを通してテベスの代理人となると、次から次へとこのクライアントを移籍させ、利益を上げて来たのだ。
( ー 中 略 ー )
 ボカを出てからシティに至るまで、ひとつのチームに腰を落ち着けたのは長くて2年。在籍3年目を迎えたシティとの関係が壊れたのは、こうして見ると偶然ではないだろう。
 ジョオラビシアンがどのようにしてテベスの心を掴み、信頼を勝ち得たのか、その本当のところは分からない。この代理人が全ての移籍を画策したのは間違いない。欧州のビッグクラブからの誘いを断り、ボカからコリンチャンスに移ったのは、ジョオラビシアンがこれもMSIを通じてコリンチャンスの経営権を握っていたからだ。
( ー 中 略 ー )
 ちなみに、ユナイテッドとの契約は2年間のレンタルで、MSIからの貸し出しという形態だった。プレミアリーグでは、フットボールクラブ以外の事業体に選手の所有権は認められていないが、そこは曖昧なまま既成事実が優先されて来た。
 ユナイテッドがテベスと決別したのは、強気の交渉を進めるジョオラビシアンとの折り合いがつかなかったためだ。2550万ポンド(約36億円)という金額は、ユナイテッド・サイドには到底飲めるモノではなかった。】

心の声に耳を傾けていれば 幸福なフットボーラーに...
一面では、テベスは悲しい被害者とも言えるだろう。彼が本当に望んだ移籍が、これまでにアッタだろうか。そして移籍交渉のもつれなど、何かある度に、批判の矢面に立たされるのだ。ジョオラビシアンの身代わりとなって。
 思い返せば、シティの前CEO(最高経営責任者)、ガリー・クックとジョオラビシアンの関係悪化と符節を合わせるように、テベスがクラブへの不満を漏らし、移籍を口にするようになって行ったことに気付く。
 テベスがマンチェスターでの暮らしに居心地の悪さを感じていたのは事実だろう。何より、アルゼンチンに残した2人の愛娘と離れ離れの生活は耐え難いモノだっただろうと、同情する。「この街に落ち着いたことはない」、「ここでの生活を楽しんだことはない」という何度も聞かれた彼の言葉は、心情の素直な吐露に違いない。
 しかし、プロのフットボーラーである以上、それは言い訳にはならない。その言葉通り、マンチェスターでの生活が幸福でなかったとしたら、何故彼はシティと5年間の契約を結んだのか。家族を最優先に考える選択肢(移籍先)は他にアッタはずだ。
 ジョオラビシアンに全てを委ねたために、テベスは間違ったキャリアを歩むことになったのだと、私はそう結論付けたい。テベスはハッピーで称賛に満ちたフットボーラーであるべきなのだ。何故なら、素晴らしいスピリットを持ち、常にチームのために戦える選手だからだ。それが、批判や論争に包まれているのは、ジョオラビシアンに選択を任せて来たからだろう。
 テベスはイングランドではなく、スペインに行くべきだったのではないか。同じ文化圏で言葉の問題がないスペインこそが理想郷だったはずだ。バルセロナ、レアル・マドリー、あるいはセビージャやアトレティコ・マドリーでもいい。リーガ・エスパニョーラこそテベスの居るべき場所だと、私はそう思う。カネの匂いを嗅ぎ分ける代理人の囁きではなく、自分自身の心の声に耳を傾けていれば、テベスはもっと幸福なフットボーラー、もっと幸福な人間に成れていただろう。
 勿論、ここからキャリアを好転させることは十分に可能だ。27歳とまだまだ若いし、何より彼には才能がある。しかし、今のテベスは全てを台無しにした、苦々しい敗者にしか映らない。
 原稿を執筆している現時点で、例の一件の真相は未だ闇の中で、処分や処遇についても不明のままだ。
 どのような調査結果が出て、クラブがどのような判断を下すにせよ、移籍市場が再開する来年の1月まで、テベスはシティの一員だ。マンチーニの構想から外れ、サポーターから罵声を浴びても、テベスはその針のムシロに座り続けていなければならない。
 いずれにしても、テベスとシティの結婚にハッピーエンドはない。神に祝福されたはずだった理想のカップルに待っているのは、苦々しい別れである。】 《この項・了》



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共通テーマ:日記・雑感

SPAIN 心は既に壊れかけているのか... [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(チョキ)]
リーガ・エスパニョーラ  《ヘスス・スアレス記者》
モウリーニョ監督率いるマドリーの歯車が、微妙に狂い始めている。効率性を重視したスタイルが機能せず、格下相手にも取りこぼす始末。大勝後も虚しさしか残らないチームでは、ついに指揮官の采配を疑問視する声も...。

無様に守ったイタリア人と モウは非常に酷似した存在
【2007年3月、当時のレアル・マドリーのDFで私の友人の一人であるミチェル・サルガド(現ブラックバーン・ローパーズ所属)が、苦々しげに打ち明けてくれた話がある。
俺達は、キックオフの前からボールを保持することを諦めていた。つまり、プロのフットボーラーでありながら、試合を“捨てた”わけだ。ツケを払わされたのは当然さ
 2006ー07シーズン、マドリーはチャンピオンズ・リーグ(以下CL)のベスト16でバイエルン・ミュンヘンと対戦。本拠地での第1レグを3ー2でモノにした彼らは、1点をリードして敵地のミュンヘンに乗り込んだ。
 当時のマドリーの指揮官は、ファビオ・カペッロ(現イングランド代表監督)。カルチョの国からやって来た結果至上主義者は、この大事な第2レグで、文字通り「乱心」したとしか思えない采配を試みた。あろうことか、チーム屈指のボールアーティストであるグティをベンチに置き、エメルソン、フェルナンド・ガゴ、マアマドゥ・ディアッラという3人の守備的MFを、最終ラインの前に並べたのだ。
( ー 中 略 ー )
 後半に追加点を奪われたマドリーは、終了間際に1点を返すのが精一杯。2試合の合計スコアは4ー4ながら、アウェーゴール2倍ルールにより、敗退を余儀なくされたのだった。
 M・サルガドの話はこう続く。
「あの試合の後、ラウールと俺はチームを代表してミステル(監督)に言ったんだ。『もうトリプルボランチだけは勘弁してくれ』ってね」
 選手達は戦いながら、痛烈に違和感を感じていたのだろう。カテナッチョが伝統のイタリアではいざ知らず、3人の守備的MFを同時に起用し、ボールゲームを捨てるなど、マドリーでは絶対にあり得ないからだ。
 牙をもがれた狼の如く、唸ることしか出来ずに叩きのめされる姿は、マドリディスタにとっても屈辱以外の何物でもなかった。
 カペッロのマドリーはそのシーズン、リーガ・エスパニョーラを制するが、称えられるべきは、最後までマドリーらしさを貫こうとしたラウール・ゴンサレスやM・サルガドらベテラン選手であり、間違っても指揮官ではない。
 マドリーのようなメガクラブを率いながら、無様に守り、カウンターで姑息に勝ち点を稼ごうとしたのが、“世界的名将”の呼び声高いカペッロの正体だった。そして現在、そのマドリーで指揮を執るジョゼ・モウリーニョは、当時のカペッロと非常に酷似した存在となっている。

選手達が指揮官の采配に 疑問を抱き始めている
●ピッチ外での行き過ぎた言動により、その人間性を非難されたモウリーニョ。彼は今、指揮官としての能力すら問われ始めている。
●エジルの重要性を再認識させられたのがラージョ戦。先制されたマドリーが同点としたのは、司令塔投入のおよそ10分後であった。
【6節のラージョ・バジェカーノ戦でモウリーニョは、ラッサナ・ディアッラ(以下ラス)という凡庸極まりないMFを起用し、メスト・エジルをベンチに置いた。当然ながら、チームは試合開始直後からボールをキープすることさえままならず、1分に先制弾を浴びてからは更に混乱が増幅。本拠地サンチャゴ・ベルナベウはたちまち大ブーイングに包まれた。
 モウリーニョが動いたのは28分。自信を持ってピッチに送り出したラスをさっさとベンチに引っ込め、エジルを投入したのである。これで攻撃の形を作れるようになったチームは、前半にウチに逆転に成功。最終的には6ー2の大勝を収めている。
 効率性___。それがモウリーニョのフットボールの代名詞と言っていい。守備のリスクを減らすため、タフな選手を中盤と最終ラインに数多く配し、前線にはカウンターから少ない手数でゴールを奪える走力と決定力を備えたプレーヤーを起用する。バルセロナとは、ちょうど対極に位置するスタイルと断言できるだろう。
 ところが、今シーズンはそのやり方が思ったように機能していない。その結果、4節のレバンテ戦を落とし(0ー1)、続くラシン・サンタンデール戦はスコアレスドロー、そして弱小ラージョにも先制点を奪われるという、不甲斐ない戦いを見せている。
 高度な戦術の使い手でなくとも、ある程度経験を積んで来た監督であれば、マドリーを倒すための策はすぐに見つけられるだろう。ボールの出所であり、カウンターの起点でもあるシャビ・アロンソを潰せばいいのだから。このバスク人MFを封じれば、前線でボールを待つ屈強なアタッカー達はたちまちその勢いを失い、チーム全体が機能不全に陥る。
 唯一シャビ・アロンソと連係し、ゲームを作るプレーに参加できていたのがエジルだった。中盤の低い位置まで下がってボールを受け、パスを捌いて又前へ出る。その繰り返しだけで彼は敵を幻惑し、攻撃の潤滑油となっていた。
 マドリーの生命線が、シャビ・アロンソとエジルであるのは明らかだ。この二人に対する依存度が高過ぎるからこそ、私はこれまで、「エステバン・グラネロを起用してボールの供給源を増やすべきだ」と、再三論じて来たのである。グラネロはインテリジェンスのアル選手で、ボールを動かし、攻撃の起点になることができる。
 カカというファンタジスタもいるが、私に言わせれば、彼はよりFW的な選手。むしろ、カウンターなどの場面で“周りから生かされる選手”と言っていいだろう。
 話を戻すが、そんなエジルを、モウリーニョはラージョ戦で愚かにもベンチに置いた。となれば、中盤でゲームを作れるのはシャビ・アロンソひとり。“昇格組”が相手とはいえ、マドリーが劣勢に立たされたのは、当然の帰結だった。そして皮肉にも、モウリーニョを救ったのはエジルだった。
 おそらく、ラウールやM・サルガドがカペッロに対してそうだったように、マドリーの選手達は今、指揮官の采配について疑問を抱き始めているだろう。監督を信頼していいのか、このフットボールで本当にタイトルまで辿り着けるのか、と。
 ただ意外にも、そうしたチーム内のネガティブな雰囲気を我々が知るのは、選手達の証言からではなく、指揮官モウリーニョの行動からだった。】

4ー0の大勝を収めながら “負けゲーム”の雰囲気に
4ー0の勝利を収めたエスパニョール戦は、主力の多くが欠場したこともあり、不満の残る内容に。スコアほどの差は見られなかった。
【10月2日のエスパニョール戦(7節)を前にして、モウリーニョはサプライズでバーベキューパーティーを企画し、9月30日のトレーニング終了後に選手とスタッフを招待。その様子はクラブのオフィシャルホームページでも紹介されていたが、私には、そうした指揮官の行動が、逆にチーム内の混乱を証明しているように思えてならなかった。
 それにしても、チーム内の結束を強めるための手段がバーベキューパーティーとは、なんと浅はかで陳腐で安っぽいことか。“スペシャル・ワン”を自称する男は、そこまで追い詰められてしまったというのか。
 今夏にヘタフェに移籍したペドロ・レオンが、「モウリーニョには辱(はずかし)めを受けた」と発言するなど、ピッチ外における“人間モウリーニョ”の評価は目に見えて落ちている。
 また最近は、マドリーで厚遇されている選手の中に、モウリーニョの代理人を務めるジョルジュ・メンデスの顧客・・・クリスチアーノ・ロナウド、ファビオ・コエントラン、アンヘル・ディ・マリア、リカルド・カルバリョ、ペペなど・・・が多く含まれていることも問題視されており、他の代理人と契約している選手達の不満が高まりつつアルという。
 身から出た錆とはいえ、現在モウリーニョは四面楚歌の状況にある。・・・(略)・・・。
 改めて言うまでもなく、彼はタフな男だ。最後まで戦い抜く覚悟は当然あるだろう。しかし、フットボールの喜びを捨て、効率性にこだわり、勝利だけを求めて、一体何を得られるというのか。
 ラシン戦のハーフタイムに、マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長は、モウリーニョを抱き締めたという。それが単なるパフォーマンスだったのかどうかは知る由もないが、以前当コラムでも触れたように、私自身も今年2月のリアソール・スタジアムで、そうした衝動に駆られている。スコアレスドローに終わったデポルティボ・ラ・コルーニャ戦の後、あまりに孤独で、憔悴し切っているかのようなモウリーニョの姿を見た時だ。
 あれから8カ月。ポルトガル人指揮官の心は、既に壊れかけているのかも知れない。
 件(くだん)のエスパニョール戦、マドリーは4ー0の大勝を収めた。しかし、それは戦力が絶対的に上回っていたからに過ぎない。内容は明らかにエスパニョールの方が良く、実際にゲームをご覧になった方なら分かると思うが、マドリーにとってあの試合は、完全なる“負けゲーム”だった。
 モウ・マドリーは今後も勝利を重ねて行くだろう。だが、このままのスタイルを貫き、仮にタイトルに辿り着いたとしても、かのイタリア人指揮官の下でリーガを制した06ー07シーズンのように、後には虚しさしか残らないはずだ。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.11.3号_No.350_記事》
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ITALY 根拠に乏しい「楽観主義的な興奮」 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
セリエA(アー)  《ジャンカルロ・パドバン記者》
EURO予選を楽々突破したイタリア代表を、本大会での優勝候補に挙げる声も聞こえてくる。国内で支配的なそうした楽観主義的な興奮には、しかし説得力十分の根拠があるのだろうか。冷静に考えれば、不安が拭えない。

理解し難く大袈裟なのが 国内での手放しの賞賛ぶり
予選2試合を残し、楽々本大会行きのチケットを手に入れたいタリア代表。68年大会以来の欧州制覇へ、国内の期待は一気に膨らむが。
【イタリアのサッカー界は今、無根拠な楽観主義的興奮に包まれている。EURO2012の予選に臨んでいたイタリア代表が、グループ首位で楽々と本大会への出場権を確保したからだ。10試合を8勝2分けで乗り切り、すなわち1敗もせず、僅かに2失点を喫しただけ。確かにそうなのだが、目に余る覇者戯ようである。1年あまり前の南アフリカ・ワールドカップでアッズーリが晒した醜態を、少しでも早く忘れたいからでもあるのだろう。しかし、私に言わせれば、予選突破の背後にある厳然たる事実を認めようとする向きがあまりにも少な過ぎる。
 イタリアが引き当てたのは、予選全9組の中で最も楽なグループだった。それだけではない。セルビアとの直接対決は敵サポーターの暴動で没収・中止となり、UEFAの裁定でイタリアの勝利となった(スコアは3ー0)。格下ばかりのグループ内で唯一と言えるこの強敵と、戦わずして勝ち点3を得るという幸運にも恵まれたのだ。実際、この10月7日に敵地で臨んだセルビア戦は、既に予選を突破した後という余裕の立場にありながら、結果は1ー1の引き分けに終わっている。
 いくら何でも厳し過ぎる評価だと、私の見解に批判的な人々は、むしろポジティブな結果だったと、セルビアと引き分けたイタリア代表を擁護する。・・・(略)・・・。
( ー 中 略 ー )
 イタリアが組み込まれたグループCは最も楽だったという、私の見解を補強する材料は他にもある。2位でフィニッシュしたエストニアは、FIFAランキングが58位という国だ。11月のプレーオフを戦う各グループ2位の8チーム中、エストニアのランクが最も低い。
 こうした事実に目を向ければ、2試合を残して1位での予選通過を決めたとはいえ、取り立てて持ち上げるほどの偉業とは言えないだろう。理解し難いのはイタリア国内での手放しの賞賛ぶりで、来年の本大会でも優勝候補になると騒ぎ立てている。私に言わせれば、大袈裟だ。EURO本大会への進出を決めた国の中には、イタリアよりも強いチームが少なくとも4つある。スペイン、オランダ、ドイツ、そしてイングランドは、客観的に見てイタリアの上を行っている。
 念のため付け加えておけば、欧州選手権でのイタリアの優勝は1968年大会の一度きり。しかも自国開催の大会で、レフェリーの“手助け”があればこその戴冠だった。ソ連との準決勝は引き分けに終わり、ファイナル進出の権利は抽選で手に入れた。その抽選が疑惑に満ちていた。コイントスの結果を誰ひとり見ないまま、イタリアの勝利が宣言されたのだ。】

看過できない守備の問題は CBとサイドバックに___
イタリア代表のチェーザレ・プランデッリ監督はアッズーリの再構築という難仕事を、南アフリカでのあの惨敗から僅か1年余りで見事に成し遂げた。そんなふうに持ち上げる声もあるが、賛同は出来ない。現在の代表を支える面々、ジャンルイジ・ブッフォン、ジョルジョ・キエッリーニ、アンドレア・ピルロ、(以上はユベントス)、ダニエレ・デ・ロッシ(ASローマ)はいずれも、マルチェロ・リッピ前監督の下で南アフリカ・ワールドカップを戦っている。チームの土台が変わったわけではない。
 まるでバルセロナのようだったと、イタリア代表の予選での戦いぶりを褒めそやす者までいる。大きく高まったボール支配率を根拠としているようだ。プランデッリ監督がグラウンダーのパスを繋ぐ組み立てを志向していたのは確かだが、これだけ楽なグループで格下ばかりを相手にしていたのだから、ボールポゼッションが高まらない方がどうかしているだろう。
 それにボールを支配していたわりには、得点が多くない。予選10試合の合計で20ゴールだ。同じ10試合でオランダは37ゴール、ドイツは34ゴールを挙げている。とりわけアウェーで苦しみ、エストニアには2ー1の辛勝、ベルファストでの北アイルランド戦はスコアレスドローに終わっている。いくら敵地とはいえ、FIFAランクが126位のフェロー諸島との対戦ですら、1ー0という僅差の勝利だったのだ。
 こうして改めて振り返ってみても、イタリアの戦いぶりが絶賛されるような内容だったとは到底思えない。むしろどうしてここまで褒めちぎられるのかと、首をかしげる以外にない。当のプランデッリ自身が、ハッキリと語っているではないか。イタリアは得点が少なかったし、守備の局面ではリスクを冒し過ぎていたようだと。
 ディフェンスの問題は、キエッリーニの相棒となるCBだ。レギュラー定着が期待されるアンドレア・ラノッキア(インテル・ミラノ)に故障が多く、予選ではキエッリーニとペアを組む機会が少なかった。信頼に値するパートナーが不在だったのは、それゆえでもアルだろう。
 両サイドバックの守備力の低さも、看過できない問題だ。・・・(略)・・・。
 戦力的に満足できるレベルにあるのは質・量ともに中盤だ。・・・(略)・・・。プランデッリが中盤をロンボ(菱形)にした4ー3ー1ー2システムを採用しているのは、こうしたMFのタレントをより活用するためだ。中央の人口密度を高めてポゼッションを安定させるべく、攻撃の幅は犠牲にする。同時に、最終ラインをしっかりとプロテクトできるシステムを選んだわけである。】

極端なところがある指揮官 新戦力の抜擢に慎重過ぎる
●スタンダードとなりつつあるのは、小兵二人の2トップ。高いボール支配率の割に得点が伸びないのは問題だ。
●EUROの出場権という最低限のノルマは果たしたプランデッリ。来年の大舞台で、W杯の汚名を返上できるか。
繰り返すが、ポゼッションをフィニッシュになかなか結び付けられないのが予選を終えた今も残っている問題だ。2トップが裏のスペースを突いたり、MFが後方から縦に走り込んだりという崩しのプロセスが、明らかに物足りない。
 今のところ機能性が高いのは、ジュゼッペ・ロッシ(ビジャレアル)とアントニオ・カッサーノ(ミラン)、あるいはセバスティアン・ジョビンコ(パルマ)というモビリティーが十分なFWを2枚並べた時の方だ。・・・(略)・・・。
( ー 中 略 ー )アルゼンチン出身のオスバルドは、ブラジル出身のアマウリ(ユベントス)とチアゴ・モッタ(インテル)、アルゼンチン出身のクリスティアン・レデスマ(ラツィオ)に続く、現政権下で4人目のオリウンド(イタリア移民をルーツに持ち外国人)ということになる。
 私は北部同盟(北イタリアの独立を政策に掲げる右派政党)の支持者ではないし、オリウンドに対する反感を持っていない。代表選手がイタリアの国歌を歌おうが歌うまいが、どちらだろうと気にしない。ちなみに昔は、歌わないのが普通だった。重要なのは、自分が代表する国とそのユニホームをリスペクトしているかどうかなのだ。
 我慢ならないのは、オリウンドの招集を正当化するためにプランデッリが用いた「新イタリア人」という表現だ。認識自体が間違っている。オリウンドはオリウンドであり、新イタリア人と呼ばれるべきなのはイタリアで生まれ育ち、サッカー的にもイタリアのカルチャーを身に付けた二重国籍の保有者達である。・・・(略)・・・。
 セリエBのトリノに所属する23歳の(両親がナイジェリア人)アンジェロ・オグボンナはラツィオ州で生まれ、トリノの育成部門で育てられた。この3シーズンはセリエBでプレーしているが、リバプールなどのビッグクラブが獲得に乗り出すほどのタレントだ。EURO本大会の出場を決めた後の10月の予選2試合で、ナゼ出番を与えなかったのかを、私は不思議に思っている。今後、本大会までの親善試合で試しておくべきだろう。
 プランデッリという監督には、極端なところがある。お気に入りの選手を辛抱強く使い続ける一方で、台頭した新戦力の抜擢にいささか慎重過ぎるのだ。代表監督に就任した当初の1年前は、バロテッリとカッサーノがチームの大黒柱になると明言した。顔をしかめたのは、私だけではない。・・・(略)・・・。
 その一方で、例えばイグナツィオ・アバーテ(ミラン)、アレッシオ・チェルチ(フィオレンティーナ)、そしてオグボンナといったクラブレベルで十分の実績を重ねている選手が、代表ではチャンスを与えられずにいる。率直に言って、いただけない用兵だ。本大会までの限られて時間の中で、プランデッリが如何に新戦力を試し、本番を戦うためのグループを作り上げて行くのか。引き続き注視して行きたい。】 《この項・了》



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HOLLAND スナイデルの実弟が華々しく___ [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(パー)]
エールディビジ  《ハンス・フォス記者》
ユトレヒトの本拠地が祝賀ムードに包まれたのは、4節のローダJC戦だった。初勝利を挙げたからではない。あの新鋭が決勝点を奪ったからだ。世界的名手の実弟、ロドニー・スナイデルが華々しいデビューを飾った。

実兄ヴェスレイとは異なり 故郷でプロでビューを飾る
【選手協会のストライキにより、セリエAの開幕戦が延期となったことは、インテル・ミラノのMFヴェスレイ・スナイデルにとって好都合だったに違いない。8月最後となるウィークエンドに、実弟ロドニー・スナイデルのプロデビュー戦が控えていたからだ。ロドニーがスタメン出場するとの情報を掴んだウェズレイは、即座にイタリアからオランダへのフライトを予約。肉親の晴れ舞台をその目に焼き付けるべく、兄弟の生まれ育った地でもあるユトレヒトは、ハルヘンワールド・スタジアムへ飛び立った。
 最も、行き先はアムステルダムとなっていても可笑しくなかった。2003年2月にヴェスレイがプロデビューを飾ったアヤックス・アムステルダムとの念願のプロ契約を、7歳年下のロドニーは今夏結んでいたからだ。スナイデル一家にとって、末っ子のFCユトレヒトでのプロデビューはまったくの想定外だっただろう(編集部・注:スナイデルは3兄弟で、長兄のジェフリーは既に現役を引退)。
 ユトレヒト移籍が決まったのは8月3週だった。アヤックスのフランク・デブール監督が「より出番を掴み易い中堅クラブで研鑽を積むべき」との判断を下し、1年間の武者修行に出させたのだ。8歳からアヤックス一筋を貫いてきたロドニーにとって、承服できる新天地は故郷のユトレヒト以外になかったようだが、幸い、ユトレヒト側も直ぐさま獲得を決断。数日間、練習を共にしたエルウィン・クーマン監督がその才能を見初めたのだった。
 クラブこそ異なるが、ヴェスレイとロドニーのデビューには共通点が見出せる。前者がデビューした当時の指揮官は、エルウィンの実弟ロナルド・クーマンだったのだ。かつてアヤックスで見られたクーマン&スナイデルのタッグが数々の栄光を掴んだように、ユトレヒトのクーマン&スナイデルのペアも成功を収められるだろうか。
 ユトレヒトのサポーターは早くも期待に胸を膨らませている。デビュー戦の直前にウォーミングアップする姿に熱い眼差しを注ぐと、一挙手一投足に大声援を送っていた。熱烈歓迎の理由は、ロドニーが入団前からユトレヒトへの愛を示していたからでもアルだろう。昨シーズンの事だ。ヨーロッパリーグで強豪リバプールやナポリとの対戦が決まったユトレヒトに対し、ロドニーはあるファンのホームページを通して、クラブへの応援メッセージを寄せていた。この行為を多くのファンが粋な計らいだと感じていたのだ。

決勝ゴールを奪った直後に 「兄より上手」のチャントが
プレースタイルから歩き方まで兄ヴェスレイと瓜二つのロドニー。順調に成長すれば、スナイデル兄弟の代表での共演が見られそうだ。
ロドニーを知らない人が見れば、「何故ヴェスレイがユトレヒトで?」と疑問に感じるほど、ピッチ上の両者は瓜二つだ。類稀なサッカーセンス、溢れんばかりの情熱、鋭くて強烈なシュート、卓越したボール捌き、しなやかな身のこなし、正確なFK、歩幅の狭い特徴的な歩き方、ミスを犯した際の不機嫌な振る舞い、更には体格や喋り方まで、似通う部分を挙げれば、枚挙に暇がない。まるでロドニーはヴェスレイの分身のようなのだ。
 ただ、エールディビジ・デビューは20歳と遅かった。同じ年齢の時の兄は、既に60試合以上のエールディビジ出場歴と一度のリーグ優勝を経験済みだった。最も、兄が成し得なかった快挙をロドニーが達成したのも事実。1ー1で迎えた60分、右足でデビュー戦ゴールを決め、ユトレヒトにシーズン初勝利をもたらしたのだ。このゴールの後、ハルヘンワールドは大歓声に包まれた。ヴェスレイが訪れていることを知っていたファンは一斉に、兄が座るスタンドの方へ顔を向け、
兄より上手だ!! オレ!! オレ!!
 と大合唱。勿論、このチャントにヴェスレイが気を悪くするはずもなく、まさに祝賀ムードに包まれたデビュー戦となった。
 ユトレヒトのファンは伝統的に、アヤックスに嫌悪感を抱いているが、スナイデル家に対する感情だけは別。ロドニーについては前述したが、ヴェスレイも一目置かれている。05年11月、ユトレヒトでプレーしていたフランス人DFのダビド・ディ・トマソが、睡眠中の心肺停止で帰らぬ人となった翌朝だった。当時アヤックスのヴェスレイが、ユトレヒトのスタジアムの一角に作られた追悼スペースへやって来て、沈痛な表情で花を添えたのだ。この慈悲深い行為がファンの心を打ったのは言うまでもないだろう。
 話をロドニーに戻し、少し生い立ちに触れよう。ユトレヒトでストリートサッカーに明け暮れた少年時代、彼の相手は皆自分より身体の大きい年長者達だった。ヴェスレイと彼の友人の輪に交ぜてもらっていたからだ。7歳年下とはいえ手心を加えられることもなく、幾度となく体格差にモノを言わせたタックルを浴びせられた。
 この影響があるのだろう。ロドニーが備える不屈の精神力は並大抵のモノではない。失敗を恐れない果敢なプレーを連発し、最後まで戦い抜く闘争心も旺盛。メンタリティーの強さは、ユトレヒトのアシスタントコーチを務めるヤン・ボウタースの現役時代を彷彿とさせるし、この元オランダ代表の名MFから現在直接指導を受けている事実は、運命めいたモノさえ感じさせる。
 世界的名手の実弟と注目され、あれこれ比較されるが、ロドニーは常に冷静で自分を見失わない。
兄を追い抜く気なんてサラサラない。僕はエールディビジの選手として着実に成長したいだけだよ
 まさに謙虚な性格の彼は、チームプレーヤーでもある。典型的なスタープレーヤーの兄との共存も、おそらく難しくないはずだ。少し気が早いかも知れないが、オランダ代表でのスナイデル兄弟の共演を心待ちにしているのは、私だけではないだろう。】 《この項・了》



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