SSブログ

ITALY 瀕死の元王者が迷い込んだ袋小路 [THE JOURNALISTC]

[サッカー][目] [耳]  [手(グー)]
セリエA(アー)  《ジャンカルロ・パドバン記者》
短命政権に終わったガスペリーニは、どこで道を誤ったのか。後任のラニエリは瀕死のチームに、どんな蘇生術を施したのか。開幕から躓いたインテルの謎を解き明かす。袋小路に迷い込んだのは、いつからなのか...。

ベテラン組を全面的に信頼 ラニエリの影響力は十分に
●就任からの1週間足らずで貴重な二つの勝利に導いたラニエリ新監督。救援のスペシャリストが施した蘇生術とは...。
●最後は3バックとともに沈んだガスペリーニ。チーム随一の得点力を誇るパッツィーニを半ば干すなど不可解な用兵も。
インテル・ミラノの新監督に就任したクラウディオ・ラニエリは、ジョゼ・モウリーニョと丁々発止やり合った過去を持つ。2010年の夏にインテルを退団したモウリーニョは、その後もこのクラブに影響を及ぼして来た。自らの後任となったラファエル・ベニテスが指揮官の座を追われると、レオナルドの監督就任を進言し、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの今夏の招聘にも好意的だった。その点、幾度となく舌戦を繰り広げたラニエリは、未だに“敵”であるはずだ。今回の一件がインテルとモウリーニョの決別を意味するのか、興味深い。
 それはさておき、監督交代の“初期効果”はポジティブなモノだった。ラニエリの就任から1週間足らずでインテルは2連勝を飾っており、どちらも敵地での勝利である。・・・(略)・・・。ガスペリーニに半ば干されていたジャンパオロ・パッツィーニが、2試合続けてゴールを決めたのも偶然ではないだろう。
( ー 中 略 ー )
 開幕からの公式戦5試合(8月6日のイタリア・スーパーカップを含む)で勝ち星が一つもなかったインテルが、この連勝で完全に立ち直ったと判断するのは早計だろう。緊張の糸を突然切らし、詰まらない失点を喫する傾向に変化はない。ボローニャでもモスクワでも、先に得点しながら一旦は同点とされている。
( ー 中 略 ー )
 ラニエリはよくぞこれだけ短い時間で、期待されていた全てとは言わないまでも、かなりの仕事を果たしたと言っていい。第一には、最終ラインをガスペリーニ監督時代の3バックから昨シーズンまでの4バックに戻し、4ー3ー1ー2に切り替えた。選手達の資質と能力のよりマッチしたシステムだ。ラニエリはこの最初のアプローチで選手達の同意と共感を勝ち取り、インテルはより堅固で安定した布陣を取り戻した。
 第二の仕事は、ベテラン組に全面的な信頼を与えたことだ。戦術的な必然性もアッタのだろうが、それ以上にチームを掌握するうえで好都合だったからに違いない。ロッカールームで大きな発言力を持つ“彼ら”を味方に付け、ラニエリはチームに十分の影響力を及ぼしうる立場を手に入れた。ちなみにガスペリーニ時代の彼らは、詳しくは後述するが、監督に100㌫協力的だったとは言い難い。
 ラニエリが果たした第三の仕事は、選手達の自覚を促したことだろう。ガスペリーニが去った今となっては、結果を出せない責任を誰にも転嫁できないのだと。

素人じみた気紛れではない モラッティの戦術変更要求
インテルが最後までスクデットを争い、あるいはヨーロッパの覇権を目指すうえで足りないのは、私に言わせれば中盤の選手層だ。その影響が出てくるのは、シーズンが深まってからだろう。とはいえ、事態が好転しているのは間違いなく、ラニエリの監督就任でシーズンの展望自体が少なからず変化した。ほんの1週間ほど前までは、深刻な失敗が目に見えていたというのにだ。
( ー 中 略 ー )
 ラニエリが危機的な状況に陥ったチームを救い出す、途中就任のスペシャリストなのは間違いない。09ー10シーズンは開幕2連敗でASローマの監督を辞任したルチアーノ・スパレッティ(現ゼニト・サンクトペテルブルク)の後を継ぐと、その8カ月後、最終節の前半45分間を終えた時点ではスクデットに王手を掛けていた。栄冠に手が届かなかったのは、ディエゴ・ミリートがシエナ戦の後半にゴールを決め、首位で最終節を迎えていたインテルに逃げ切られたからだった。
( ー 中 略 ー )
 誤解を避けるために付け加えれば、選手達がわざとガスペリーニを解任に追い込もうとしたわけではない。積極的に支持しようとしたり、肩を持とうとはしなかったとうことだ。要求された仕事はきちんとこなしていたが、そこには熱意も納得もなかっただろう。むしろ疑問を抱き、監督が誰であろうと、インテルはかくあるべしという信念に囚われていたように、私には見えた。
 ガスペリーニがその権威を失ったのは、就任からこだわり続けて来た3バックを一旦引っ込め、4バックでCLのトラブゾンスポル戦に臨んだ時だ。マッシモ・モラッティ会長の要求に応じての、システム変更だったと伝えられている。
 実を言えばモラッティの要求は、彼自身の素人じみた気紛れによるものではない。チームの中核を担うグループ・・・そのほぼ全員がアルゼンチン人だ・・・の意見を聞いた上での変更要求だった。
 映像に残されたエステバン・カンビアッソの振る舞いは、どんな空気がチームを支配していたかを象徴的に物語る。ガスペリーニにとっては最後の試合となったノバーラ戦(セリエA4節)の途中で、CBのアンドレア・ラノッキアにこう伝えるカンビアッソの姿をTVカメラが捉えていた。
「4バックで守るぞ。責任は俺達が取る」
 私が思い出したのは、ある伝説だ。1960年代にセリエAを三度制した“グランデ・インテル”で主将を務めたアルマンド・ピッキは、チームメイトに言い含めていたという。監督ではなく、自分の言うことを聞くようにと。当時インテルを率いていたのは、名将エレニオ・エレーラだった。

勝てなかった時代に逆戻り 否めないのはそんな印象だ
モラッティこそ、迷走を招いている張本人との説が。強化責任者のブランカTDとは見解の相違もあるようだ。
モウリーニョがインテルに残したのは、巨大な空白だ。その空白を埋めようとする人事で、インテルの内部は二つに割れていた。取り敢えず“つなぎの監督”で様子を見ようと考えたのがモラッティだった。バルセロナからジョセップ・グアルディオラを招聘するのが、この会長の夢だろう。
( ー 中 略 ー )
 今夏の監督選定作業では、6番目の候補者に過ぎなかったガスペリーニをブランカが推している。どうやらこのテクニカルディレクターは、3ー4ー3というシステムと現在のインテルの相性の良し悪しを楽観し過ぎていたのだろう。事実、夏の補強はガスペリーニの必要も要望も満たしていない。サミュエル・エトーの売却とヴェスレイ・スナイデルの残留がその象徴だ。ガスペリーニにとってはエトーを残し、スナイデルを売った方がはるかに良かったに違いない。
( ー 中 略 ー )
 1995年のモラッティの会長就任から数えて、ラニエリは17人目の監督だ。モウリーニョが去ってからのこの1年余りでは、4人目となる。一連の経緯から否めないのは、勝てなかった時代のインテルに逆戻りしている印象だ。優柔不断で、迷走を繰り返すインテル。それはモウリーニョが去り、全ての意思決定権がモラッティの手中に戻ってからの現象なのだ。
 僅か1年余りで3人の監督が“燃やされ”、手にしたのはさほど重要ではないタイトルだけだ。私に言わせればCLグループステージ1節でのトラブゾンスポル戦の敗戦は、恥ずべきモノだった。スウェーデンのヘルシンボリに屈し、グループステージにも進めなかった2000ー01シーズンの敗北にも匹敵する。トラブゾンスポルの本選出場が可能となったのは、八百長疑惑のフェネルバフチェが出場権を剥奪されたからなのだ。
 事実、サン・シーロで見たトラブゾンスポルのサッカーは、何の変哲もないモノだった。決勝ゴールを決めたのは、一昨シーズンのパレルモで僅か13分しか出場機会が与えられなかったオンドジェイ・チェルシュトカ。いわばセリエAの落第生である。
 ガスペリーニの大きな分岐点となったのが、モラッティの要求通りに4バックに切り替え、チームのコントロールを失ったこのCLの一戦だった。今シーズンの早くも4敗目を喫し、解任の決定打となったノバーラ戦は、既に迷い込んでいた袋小路の終着点に過ぎなかったのだ。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.20号_No.349_記事》
{{月2回刊:第1・第3木曜日発売_全国書店・コンビニ}}




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。