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ENGLAND 自ら蒔いた種が「悪夢の8月」 [THE JOURNALISTC]

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プレミアリーグ  《オリバー・ケイ記者》
セスクとナスリを同時に失い、マンチェスター・ユナイテッドに惨敗するなど、1分け2敗と開幕から躓いたアーセナルにとって、8月はまさに悪夢のような1カ月だった。ただし、それも全ては自らが蒔いた種だ。

オールド・トラフォードの アーセナルは衝撃的だった
【これほどまでに打ひしがれ、叩きのめされたアーセン・ヴェンゲルの姿を、私は見たことがなかった。
 オールド・トラフォード(マンチェスター・ユナイテッドの本拠地)の記者会見場。壇上のヴェンゲルから、私は2㍍ほどの距離にいた。マンチェスター・ユナイテッド(以下ユナイテッド)に2ー8の大敗を喫したばかりの敗軍の将は、明らかに居心地が悪そうだった。その場から逃げ去りたい衝動を、どうにか抑え付けているようだった。
 それにしても、この8月はヴェンゲルにとって悪夢のような1カ月だった。ポジティブに振り返られるのは、ウディネーゼを下してグループステージに駒を進めた、チャンピオンズ・リーグ予選での勝利くらいのモノだろう。1分け2敗とスタートから躓いたプレミアリーグでは、3節終了現在で17位に沈む。その3試合で3人がレッドカードを受け、4人が出場停止処分を食らっている。ジャック・ウィルシェアを初め怪我人に悩まされ、極め付けが、セスク・ファブレガスとサミア・ナスリの退団だ。周知の通り、それぞれバルセロナ、マンチェスター・シティ(以下シティ)へと移籍した。
 ユナイテッド戦の惨敗は、あれから7週間後の出来事だった。プレシーズンのアジア遠征で、ヴェンゲルは語った。「ファブレガスとナスリを同時に手放したら、アーセナルはビッグクラブでも、野心的なクラブでもなくなる」と、そんな危機感を言葉にしてから、2カ月も経たないうちにその危惧は現実のモノとなり、歴史的な大敗を喫したのである。
 ユナイテッド戦は8月28日。それから移籍マーケットが閉まる8月31日まで、アーセナルは慌ただしい3日間を過ごすことになる。
 韓国代表のFWパク・ジュヨンをASモナコから、ブラジル代表の左サイドバック、アンドレ・サントスをフェネルバフチェから獲得すると、期限最終日は更に3件の移籍交渉を纏め上げる。エバートンからミケル・アルテタを引き抜き、チェルシーからヨッシ・ベナユンをレンタルで借り受け、ヴェルダー・ブレーメンからペア・メルテザッカーを手に入れた。
 この駆け込み補強が、アーセナルにどんな結果をもたらすか。現時点では分からない。ただ、これだけは確かだろう。悪夢の8月は、いわば自ら蒔いた種だということだ。補強を怠ってきたツケが、ついに回ったのだ。これは、ひとりヴェンゲルの責任ではない。現場の全権は指揮官にあるとはいえ、補強の予算を組み、最終的にゴーサインを出すのはフロントだ。いずれにしても、自分達で招いた窮地に彼らは陥ったのである。
 アーセナルが抱える何よりの問題は、戦力が絶対的に不足していることだ。移籍期限のラスト3日間で、どうにか体裁を整えたとはいえ、昨シーズンからの上積みはおろか、それを維持できてもイナイだろう。失ったのは、セスクとナスリという絶対的なキーマンだ。簡単に補えるマイナス分ではないし、そもそもこの2人が健在でも陣容は物足りなかったのだ。6年間遠ざかっているタイトルから、また更に遠のいてしまったと、そう言っても決して過言ではない。
 それにしても、オールド・トラフォードでのアーセナルは、衝撃的ですらアッタ。あんなに弱々しく、腰の抜けたようなパフォーマンスを見せるとは、にわかには信じられなかった。ユナイテッドが殊更に良かったのも事実だ。・・・(略)・・・。
 その不甲斐なさに、誰よりも衝撃を受けていたのは、ユナイテッドの選手達だったかも知れない。プレッシャーがまったくなく、たっぷりの時間とスペースを与えられるというあり得ない展開に、かえって面喰らったはずだ。】

シーズンの開幕から3試合 露呈された弱点はまさに...
まさに打つ手無しといった表情で、ピッチに視線を送るヴェンゲル。信じられないスコアでユナイテッドに惨敗。
挑発に乗ったジェルビーニョがレッドカードを受ければ、フリンポンは危険なタックルで退場。若さが露呈された。
【ユナイテッドに惨敗した後、ヴェンゲルは弁明した。チームは「極めて特殊な状況にアッタ」と。その通り、アーセナルは8人の主力メンバーを欠く緊急事態だった。ウィルシェアを初め、・・・(略)・・・、ジェルビーニョの3人はいずれも出場停止でピッチに立てなかった。
 ただ、それを言うなら、ユナイテッドもベストメンバーではなかった。ネマニャ・ヴィディッチとリオ・ファーディナンドという最終ラインの大黒柱を故障で欠き、ダレン・フレッチャーとアントニオ・バレンシアもコンディションが整わずに不在だった。
 両チームの明暗を分けたのは、選手層の違いだ。
( ー 中 略 ー )
 まるでリザーブチームのアーセナルは、案の定、ユナイテッドに蹂躙された。試合前のプレスルームで、私は記者仲間とアーセナルの完敗を予想した。「1ー4だろう」、「いや5点は取られるぞ」、「ゴールは奪えない。完封だよ」と、そんな会話が交わされたが、結果的にそうした予想は全て裏切られた。我々の考えを遥かに上回って、アーセナルは酷かったのだ。
 ベンチで頭を抱えるヴェンゲルに、私は同情を禁じ得なかった。望まざる方向へとフロントが舵を切り、最も大切な2人の中心選手を同時に失ったのだ。フットボールを愛する者なら、等しく私と同じ感情を抱いたに違いない。偉大な指揮官が、このような仕打ちにアッテいいはずがない。ヴェンゲルを叩いてきた記者も、同情の眼差しだった。誰もがこのフランス人を認め、その手で再びアーセナルを正しい道へと導いて欲しいと、心の中ではそう願っているのだ。
 その一方で、忘れてはならないのが、ヴェンゲルにも責任の一端はアルという事実だ。
 1990年代後半から2000年代にかけて黄金期を築いた頃とは異なるアプローチを、ヴェンゲルが採っているのは周知の通りだ。ローコストの若い選手をかき集め、鍛えながらチームを強くして行こうという強化方針への転換である。しかし、そこから主軸に育った選手は、セスクを除けばひとりもいない。トニー・アダムスやパトリック・ヴィエラのような、圧倒的なパーソナリティーを発揮して屋台骨を担う支柱は生まれてはイナイのだ。
( ー 中 略 ー )
 駒不足が叫ばれていた守備的MFにも手を入れることはなく、ヴェンゲルはソング、フリンポン、コクランで乗り切る算段をしている。そしてその計算は、ユナイテッド戦で早くも、そして脆く崩れ去ったのである。
 経験は重要なファクターであると、私はこのコラムで何度も何度も指摘してきた。アーセナルについて語る際には、おそらくそれを書き漏らしたことはないはずだ。無冠が6年間も続いているのは、経験が絶対的に欠落しているからだ。
 シーズン開幕からここまで、露呈されたのは、まさにこの弱点だった。
 アウェーに乗り込んだニューカッスル・ユナイテッドとの開幕戦。新加入のジェルビーニョがジョーイ・バートン(その後、クイーンズ・パーク・レンジャーズへ移籍)の挑発にまんまと乗り、暴力行為でレッドカード。その混乱の中で、ソングもバートンを踏み付けたとして、共に3試合の出場停止処分を受けた。
 続くリバプール戦では、フリンポンが危険なタックルを繰り返し、二枚のイエローカードを受けて退場した。こうした乱心は若さの裏返しだ。チームを落ち着かせるベテランの存在があれば、特にジェルビーニョとソングのケースは防げただろう。】

ネガティブな方向に進んだ ターニングポイントは___
【昨シーズンの終盤戦から、厳密に言えば今年3月以降、アーセナルはプレミアリーグの14試合でタッタ2勝しかしていない。
 ネガティブな方向へと進むこととなったターニングポイントが、2月27日のカーリングカップ決勝だ。バーミンガム・シティにまさかの敗北(1ー2)を喫したこのファイナルで歯車を狂わせたアーセナルは、そこからパタリと勝てなくなるのだ。
 決勝戦を控えたヴェンゲルのコメントを思い出す。
ここで勝てば、次のタイトル、またその次のタイトルへと繋がる
 その時点で、チャンピオンズ・リーグ、プレミアリーグ、FAカップと4冠の可能性を残していた指揮官は、余裕でそう語ったモノだ。しかし、現実はソノまったく逆の展開となった。格下に敗れた若いチームは自信を失い、CLとFAカップから相次いで敗退。プレミアリーグでも勝ち点を取りこぼし、優勝争いから脱落した。
 カーリングカップ決勝での敗北が痛恨だったのは、これでナスリの心が移籍へと大きく傾いたからだ。2月のこの時点では、2012年の夏に切れるアーセナルとの契約を、フランス代表MFは更新するつもりでいた。報酬アップの長期契約もまずまず満足行くモノだったという。
 ところが、カーリングカップ優勝を逃し、チームが急降下して行く中で、ナスリはアーセナルへの疑念を大きくしていったのである。
 そして、シーズンが終わろうかというタイミングでシティが獲得の意思を表明すると、ナスリは交渉のテーブルから離れてしまうのだ。これで、ヴェンゲルとアーセナルは難しい決断を迫られることになった。セスクの願いを聞き入れ、バルサへの移籍を容認する意向を固めていたからだ。
 長期に渡ったバルサとの話し合いが纏まり、セスクの退団が決まったのは8月15日。移籍金は3500万ポンド(約49億円)だった。ここまで交渉を長引かせず、早い段階でバルサのオファーを受け入れ、代役を確保するための猶予を作るべきだったという指摘は、まさに正論だろう。
 とはいえ、現実はそんなに単純でも、明快でもない。1ポンドでも安く買い叩こうと、バルサはあらゆる手練手管を駆使してきたのだ。6月や7月に提示された条件で、アーセナルは納得できるはずはなかった。
 そもそも、ヴェンゲルにはナスリを手放すつもりはなかった。契約が満了してフリーで出ていかれることになっても、今シーズンは残留させて、セスクの代役を託す腹積もりだったのだ。指揮官のその決意をあっさりと押し流したのは、シティの財力だった。2400万ポンド(約34億円)の移籍金は、アーセナルのフロントにとってとうてい断れるモノではなかった。
 勿論、ナスリ自身の忠誠心にも疑問符がついていた。チームから心が離れた選手を無理に残留させ、内部破壊をもたらす不満分子とするよりも、売り捌いたほうがあらゆる意味で得策だ...。それがアーセナルの最終的な判断だった。
 ヴェンゲルにとって、アーセナルのファンにとって、8月は悪夢のような1カ月だった。しかし、それももう過ぎ去った。カレンダーは9月だ。期限ギリギリの駆け込みとはいえ、タレントは補充した。
 後は信じるだけだ。アーセン・ヴェンゲルという知将の手腕を___。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.10.6号_No.348_記事》
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