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GERMANY ラングニックを襲った精神的な病 [THE JOURNALISTC]

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ブンデスリーガ  《ルドガー・シュルツェ記者》
シャルケのラングニック監督が9月22日、精神的な疾患を理由に辞任を表明した。重度のプレッシャーや巨大なストレスが、激情家であり、完璧主義者でもあるプロフェッサー(=教授)を少しずつ追い込んでいたようだ。

“最悪の事態”に陥る手前で 決断を下したのは賢明だ
過度のストレスや重圧で精神が蝕まれ、「気力が失われた」と告白。精神的な疾患を理由にラングニックがサッカー界に別れを告げた。
【あの日から、もうすぐ2年が経とうとしている。
 2009年11月10日、ドイツ代表のGKロベルト・エンケは、ハノーファーの自宅近くの踏切に自ら進入し、32歳の若さでこの世を去った。自殺の理由は、重度の鬱病___。未だ幼かった愛娘を難病で失っただけではない。彼を悩ませていた最大の原因は、「試合には絶対に負けられない」、「ミスは許されない」、「ファンの期待は裏切れない」など、常日頃から感じていたプレッシャーだった。この精神的重圧が、自殺の引き金となったのである。
 目に見えない、いわば世間のトゲに我が身が傷つけられて行くことに、彼は耐えられなかった。皮肉にも、その世間は彼の衝撃的な死に心から同情し、スタジアムで執り行なわれた葬儀には、アンゲラ・メルケル首相を初め、数万人ものファンが参列して名GKの死を悼(いた)んだ。そしてエンケの自殺を機に、それまでドイツ社会でタブー視されていたテーマが、ようやく日の目を見ることになる。精神的疾患のデプレッション(鬱病)は現在、骨折や肺病などと同じような一般的な病気となった。
 世の中の理解がようやく深まり、鬱病を隠さない時代になりつつあるとはいえ、シャルケ04のラルフ・ラングニック監督が9月22日、突然、精神的な疾患を理由にサッカーの世界から退くと発表したのは、大きな驚きだった。クラブの公式ホームページでラングニックは、自らの状況をこう説明した。
「私には休養が必要だ。私のエネルギーレベルは大きくダウンした。チームを成功に導こうという気力が、失われてしまったのだ」
 チームドクターの所見によれば、『自律神経系の消耗症候群』。一般的には『バーンアウト』(燃え尽き症候群)として知られる病気である(編集部・注:慢性疲労症候群の可能性も取り沙汰されている)。鬱病と同じように扱われることもあるが、それは誤った解釈だ。バーンアウトは満ち溢れていたエネルギーと情熱が失われる病であり、鬱病に特徴的な「自分は何をやってもダメだ」という自責感はない。責任感が強く、精力的に仕事をこなすタイプの人に起き易いのがバーンアウトである。ただ、バーンアウトから鬱病に発展するケースも、少なくないと言われている。
 エンケは自殺する数日前から抗うつ剤を処方され、服用していたそうだ。またハノーファーの第2GKマルクス・ミラーもメンタル面に問題を抱えており、4年前にはバイエルン・ミュンヘンのスター選手、セバスティアン・ダイスラーが鬱病を理由に現役を引退するなど、精神的な疾患に苦しむサッカー界の人間は少なくない。
 幸いにもラングニックは、薬を服用したり、通院したりする必要はないそうだ。仕事上の過度のストレスが原因で第一線を退いた、ドイツ初のサッカー監督となった彼が、いずれにしても賢明だったのは、“最悪に事態”に陥る手前で自らブレーキを駆け、進んで休養に入ったことである。

サッカー漬けの毎日を送り 燃え尽きてしまったのか
【鬱病とバーンアウトが多発するサッカー界は、“非人間的な”世界___。こうしたイメージを抱いている方は、少なくないだろう。現代社会に目を移すと、ドイツ人の4人に1人は生涯を通じて何らかの形で精神的な障害に直面し、10人に1人は鬱病を患っているのが現実だ。それを踏まえれば、サッカー界は未だ「被害規模の小さい世界」と思われるかも知れないが、選手や監督にのしかかるプレッシャーが、税務署の役人や新車開発のエンジニア、大企業の営業マンの比でないのは明らかである。1980〜90年代、名将と謳われたエルンスト・ハッペルやブランコ・ゼベッチ、ウド・ラテックらは重圧から逃れるために大量のアルコールを摂取し、またクリストフ・ダウムは禁断の麻薬に手を出した。
( ー 中 略 ー )
 当時のドイツで主流だったのはリベロを置くシステムで、マンツーマン・ディフェンスが基本だった。そんな時代に彼は、「リベロは間もなく時代遅れとなる。ドイツはリベロを置く意味を失うだろう」と断言。その代わりに「フラット4で戦えば、守備と攻撃に柔軟性が生まれる。よりテンポの速いサッカーが実践できるこの戦術が、いずれ主流になる」と予見した。
 この発言に、伝統的な戦術に固執する“守旧派”が反発。ベテランの監督達は若き理論家ラングニックを精一杯の皮肉を込めて『プロフェッサー(教授)』と呼び、時代の先を行く彼に対抗意識を燃やした。
 だが、ほどなくしてラングニックの予見は的中する。リベロは完全に過去のモノとなり、フラット4全盛の時代に突入したのだ。こうして誰もがラングニックの先見性と専門性を認め、彼は戦術家の第一人者となった。
 この男の監督業にかける並々ならぬエネルギーと綿密さは、度を超していた。彼の仕事に終業時間はない。朝から晩まで、寝ても覚めてもサッカーの事ばかりを考え、働いていた。睡眠時間を削るのは当たり前で、24時間全てがサッカーを中心に回っていたと言っても過言ではないほどだ。ビデオで相手を研究する、国外のリーグ戦をチェックする、有望な若手を求めてユース大会を視察する、そこで未来のスターを発掘する・・・と休まる時がない。
( ー 中 略 ー )
 ・・・(略)・・・。文字通りサッカー漬けの毎日だった。
(魂が)燃えている人間だけが、前に進めるのだ
 ラングニックが以前、語っていた言葉である。情熱を注ぎ過ぎた彼は、その分、誰よりも早く燃え尽きてしまったのかも知れない。

シャルケ復帰を決めたのは “仕事中毒患者”だからだ
フェーアマンを含め新戦力は軒並み小粒。求める人材を確保できなかったストレスも、ラングニックを追い込んだ要因のひとつか。
ラングニックの後任として迎えられたのはステフェンス。97年にシャルケをUEFAカップの頂点に導いた監督だ。
ラングニックという指揮官を語るうえで忘れてならないのは、ドイツ南西部の田舎町を本拠地とするホッフェンハイムを率いていた頃の仕事ぶりだ。僅か3年という短期間で弱小チームを3部から1部に昇格させたのは、“ラングニック・プロジェクト”の真骨頂だった。この成功は、クラブのパトロンであり『SAP』(ソフトウェア会社)の社長であるディトマール・ホップの財政面での全面的なサポートと、ラングニックの指導力を抜きには絶対に成し得なかった。
 だが、ホッフェンハイムとの決別は突然訪れる。・・・(略)・・・。今年1月、ホップの身勝手な行動に大きく失望する。守備の要だったルイス・グスタボを、ラングニックに何の説明もなくバイエルン・ミュンヘンに高額で売り捌いたんぼである。
「現場の最高責任者である私に断りもなく、大事な選手を移籍させてしまうとは・・・」
 激怒したラングニックは、首脳陣と対立。契約の即刻解除を申し入れ、4年半続いたホッフェンハイムでの仕事に自らピリオドを打ったのだった。
 フリーの身となったラングニックは、「丁度いい機会かも知れない。半年ほど休養しようか」と充電期間を取るつもりだった。それはそうだろう。長年に渡り、休暇返上で激務を続けて来たのだから。
( ー 中 略 ー )
 だが3月中旬、“古巣”シャルケからの誘いに彼は考えを改め、契約書にサインする。
 シャルケとラングニックは、因縁浅からぬ関係にある。04ー05シーズン途中にシャルケの監督に就任したラングニックは、チームを2位の好成績に導き賞賛を浴びるが、嫉妬深く、全てが自分中心に回らないと気が済まない傲慢なGM、ルディ・アッサウアーと衝突。翌シーズンの途中、契約満了の半年前に解任されてしまったのだ。そんな遺恨を抱えるシャルケに戻る決心を固めたのは、やはり彼が一時も仕事から離れられない“中毒患者”だからなのだろう。
 結局ラングニックが取った休暇は、僅か2カ月だった。ただそれも、本当の意味で休養できたかは疑問だ。彼はその期間中も「ほぼ毎日試合をチェックし、選手をウォッチし、サッカーについての考えを巡らせていた」のだ。
 こうしてラングニックは、途中退任したフェリックス・マガトの後任として、古巣のシャルケに帰還したわけである。彼自身が設定していた当初の予定より、4カ月早い現場復帰だった。
 賞賛に値するのは、そこからの仕事ぶりだ。マガトの乱暴で独断的な手法によって、すっかり失われていた選手の自信を取り戻し、プレーの楽しさを再発見させ、近代的な戦術を導入してチームを瞬く間に再生させた。
 その結果が、チャンピオンズ・リーグでのベスト4進出だった。準決勝でマンチェスター・ユナイテッドの軍門に降り(トータルスコアは1ー6)、残念ながら決勝には進めなかったが、シーズン終盤にはDFBカップでファイナル進出を果たし、2部のMSVデュイスブルクを5ー0で一蹴。クラブに9シーズンぶりのタイトルをもたらした。ラングニックにとっては、自身初の栄冠だった。

 財政面の問題があるとはいえ、求める人材が確保できない状況に、「これでは私の(理想とする)チームが作れないじゃないか」と、ラングニックは次第にフラストレーションを溜め込んでいった。膨大なエネルギー(ラングニックの情熱)に対して、あまりに少ない収穫(選手)・・・。この不均衡が、完璧主義者の精神を更に蝕んでいったのだ。
 ラングニックのような「成功への願望が強過ぎる」タイプの監督は、勝利に人生最大の喜びを見出し、敗戦に人生最大の屈辱を感じるものだ。「もっと速く、もっと高く、もっと遠くへ」と日に日に選手やスタッフへの要求は増し、ひたすら勝利を追求し続ける。まるで純粋な修行僧のように。こうした一途な精神構造は、当人を“紙一重”の危ない世界へと誘い、孤独感に浸らせる。そして、しばしば病を発症させるのだ。
 巨大なストレスがのしかかるサッカー界には、人を惑わす狂気の香りが漂っている。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.11.3号_No.350_記事》
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