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ENGLAND 「夢の取り合わせ」の苦々しい終焉 [THE JOURNALISTC]

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プレミアリーグ  《オリバー・ケイ記者》
ブルーカラーのイメージがマッチし、当初は「夢の取り合わせ」とも言われたテベスとシティ。だが、両者の仲は初めからしっくり行かず、交代出場を拒否したとされる例の騒動で、関係は完全に破綻してしまったようだ。

貧困から身を立てたテベス イメージ的にシティとは...
●問題となったバイエルン戦のベンチ。出場を拒否したと言うマンチーニ監督に対し、テベスは誤解がアッタと弁明。果たして真相は?
●アップの指示に従わず、出場を拒んだテベスに対して、マンチーニ監督は「彼がプレーすることは二度とない」と断罪。
カルロス・テベスとマンチェスター・シティ(以下シティ)は理想のカップルだ___。そう言ったのは、シティ・サポーターの私の友人だった。ナルホドと合点がいったのは、生い立ちを含めた彼のキャラクターが、シティのブルーカラーっぽいイメージにマッチしていたからだ。
 テベスがシティに入団したのは、2009年の夏。それまで2年間在籍したマンチェスター・ユナイテッド(以下ユナイテッド)と袂を分かって求めた新天地が、同じ街のライバルクラブだった。アブダビの王族を事実上のオーナーに迎え、これからのし上がって行こうという野心的なシティと、ブエノスアイレスのスラム街から這い上がって来たテベスは、その点でも似た者同士、お似合いのカップルに思えた。
テベスは貧困層の出だろう。キャラ的に、そもそもユナイテッドじゃなかったよね。どう考えても俺達(シティ)の方さ。これは神の思し召しってやつだよ。夢の取り合わせだ
 シティ・サポーターの友人が興奮気味に捲し立てた言葉を、今でもハッキリと覚えているよ。その通り、テベスとシティは神から祝福を受けた、理想のカップルのように見えた。
 スカイブルーのユニホームを着たテベスは、それこそ水を得た魚のように躍動した。1年目からゴールを量産し、昨シーズンは20ゴールで得点王に輝き、FAカップ優勝とチャンピオンズ・リーグ(CL)の出場権を、クラブにもたらした。シティを新たな高みへと導いたのは間違いない。
 その一方で、両者の関係がしっくりいっていなかったのも事実だった。・・・(略)・・・。いつしか理想のカップルは憎しみ合う仲になり、2年目を終える頃には“結婚生活”は破綻してしまっていたのだ。
 テベスにとっても、シティにとっても不幸だったのは、“離婚協議”が上手く進まなかったことだ。高額の移籍金や年俸がネックとなって受け入れ先が見つからず、移籍期限の8月31日が過ぎ去ったのは、両者にとって大きな誤算だったに違いない。
 そして、決定的な事件が起きる。バイエルン・ミュンヘン戦(9月27日のCLグループステージ2節)での例の一件は、起こるべくして起こった衝突だろう。・・・(略)・・・。
「マンチェスター・シティのためにプレーすることで、彼は大金を貰っている。それがプレーを拒んだのだ。このチームで彼がプレーすることは二度とない」
 マンチーニ監督は声を荒げ、クラブはテベスに2週間の謹慎処分を言い渡した。
 出場を拒否した覚えはなく、監督の指示が明確に伝わらなかったと、テベスはそう弁明しており、シティ側も2週間の謹慎は仮処分で、調査チームを立ち上げて真相を究明する意向を明らかにしている。
 食い違う両者の言い分を改めて整理すれば、バイエルン戦後の会見でマンチーニは次のように説明した。
「まず決めたのは、ゼコとデヨングの交代だった。その後、カルロスがウォーミングアップと出場を拒んだ。二枚目のカードとして彼を投入するつもりだった。決断するのは私で、カルロスではない」
 これに対し、テベスは試合翌日に発した声明文で、こう釈明している。
「既にウォーミングアップは済ませ、いつでも出られる状態だった。プレーを拒否した覚えはない。ベンチワークに混乱がアッタ。きっと誤解されたんだと思う」
 私が当たったテベスに近い筋も、誤解が原因だと証言している。55分にデヨングが投入された時点で、テベスは確かにアップを終えていたという。試合展開から自分の名前がまず呼ばれると、そう見越して早めに身体を作っていたのだ。
 テベスにアップの指示が出たのは、それから暫くしてからだった。しかし、テベスはベンチに座ったまま動かなかった。何故なら、既にアップを済ませていたからだ。ここで誤解が生じたと、私が取材した彼に近しい人物は語った。アップをしなかったことは、テベスにとって「いつでも行けますという」意思表示だった。一方、マンチーニとコーチングスタッフは、それを出場拒否の意思表示と受け取ったのである。
 但し、こんな事実もある。まさにアリアンツ・アレーナを出て行く道すがら、テベスは取材陣にこう漏らしているのだ。
「プレーする気分じゃなかった。だから出なかった」
 この一言は決定的だろう。仮に真意ではなかったにしても、冗談では済まされない、許されざる発言だ。フットボールを愛する全ての者への冒涜だ。
 事件の真相は、前述したシティの調査結果を待たなければならないが、ひとつだけ確かなのは、テベスとシティの結婚生活がもはや元通りにはならないということだ。

移籍を繰り返すその背景に 全てを操る代理人の存在
テベスの絶対的な信任を得ているジョオラビシアン。ボカ→コリンチャンスから始まる全てに移籍は、彼が画策したモノだ。
【テベスのこのサボタージュ行為が醸した物議の大きさは、新聞各紙の扱い方にハッキリと表われている。バックページ(一般的にスポーツ面となる裏面)だけではなく、フロントページ(第一面)や論説ページでも取り上げた新聞が殆どだった。世論の大勢はアンチ・テベスで、シティのサポーターも怒りを露にしている。
 テベスとシティの関係は、では、何故破綻してしまったのか。
 フットボールに関するテベスの行動に大きな影響を及ぼしているのは、代理人のキア・ジョオラビシアンである。テベスとシティの結婚生活を崩壊させたのは、このイラン生まれの代理人と言っても過言ではない。
 テベスのキャリアは、全てこのジョオラビシアンがデザインした作品と言えるだろう。英国で教育を受けた後、ウォール街で財を成したジョオラビシアンは、2004年に『メディア・スポーツ・インベストメンツ(MSI)』というスポーツ関連の投資会社を設立。そのMSIを通してテベスの代理人となると、次から次へとこのクライアントを移籍させ、利益を上げて来たのだ。
( ー 中 略 ー )
 ボカを出てからシティに至るまで、ひとつのチームに腰を落ち着けたのは長くて2年。在籍3年目を迎えたシティとの関係が壊れたのは、こうして見ると偶然ではないだろう。
 ジョオラビシアンがどのようにしてテベスの心を掴み、信頼を勝ち得たのか、その本当のところは分からない。この代理人が全ての移籍を画策したのは間違いない。欧州のビッグクラブからの誘いを断り、ボカからコリンチャンスに移ったのは、ジョオラビシアンがこれもMSIを通じてコリンチャンスの経営権を握っていたからだ。
( ー 中 略 ー )
 ちなみに、ユナイテッドとの契約は2年間のレンタルで、MSIからの貸し出しという形態だった。プレミアリーグでは、フットボールクラブ以外の事業体に選手の所有権は認められていないが、そこは曖昧なまま既成事実が優先されて来た。
 ユナイテッドがテベスと決別したのは、強気の交渉を進めるジョオラビシアンとの折り合いがつかなかったためだ。2550万ポンド(約36億円)という金額は、ユナイテッド・サイドには到底飲めるモノではなかった。】

心の声に耳を傾けていれば 幸福なフットボーラーに...
一面では、テベスは悲しい被害者とも言えるだろう。彼が本当に望んだ移籍が、これまでにアッタだろうか。そして移籍交渉のもつれなど、何かある度に、批判の矢面に立たされるのだ。ジョオラビシアンの身代わりとなって。
 思い返せば、シティの前CEO(最高経営責任者)、ガリー・クックとジョオラビシアンの関係悪化と符節を合わせるように、テベスがクラブへの不満を漏らし、移籍を口にするようになって行ったことに気付く。
 テベスがマンチェスターでの暮らしに居心地の悪さを感じていたのは事実だろう。何より、アルゼンチンに残した2人の愛娘と離れ離れの生活は耐え難いモノだっただろうと、同情する。「この街に落ち着いたことはない」、「ここでの生活を楽しんだことはない」という何度も聞かれた彼の言葉は、心情の素直な吐露に違いない。
 しかし、プロのフットボーラーである以上、それは言い訳にはならない。その言葉通り、マンチェスターでの生活が幸福でなかったとしたら、何故彼はシティと5年間の契約を結んだのか。家族を最優先に考える選択肢(移籍先)は他にアッタはずだ。
 ジョオラビシアンに全てを委ねたために、テベスは間違ったキャリアを歩むことになったのだと、私はそう結論付けたい。テベスはハッピーで称賛に満ちたフットボーラーであるべきなのだ。何故なら、素晴らしいスピリットを持ち、常にチームのために戦える選手だからだ。それが、批判や論争に包まれているのは、ジョオラビシアンに選択を任せて来たからだろう。
 テベスはイングランドではなく、スペインに行くべきだったのではないか。同じ文化圏で言葉の問題がないスペインこそが理想郷だったはずだ。バルセロナ、レアル・マドリー、あるいはセビージャやアトレティコ・マドリーでもいい。リーガ・エスパニョーラこそテベスの居るべき場所だと、私はそう思う。カネの匂いを嗅ぎ分ける代理人の囁きではなく、自分自身の心の声に耳を傾けていれば、テベスはもっと幸福なフットボーラー、もっと幸福な人間に成れていただろう。
 勿論、ここからキャリアを好転させることは十分に可能だ。27歳とまだまだ若いし、何より彼には才能がある。しかし、今のテベスは全てを台無しにした、苦々しい敗者にしか映らない。
 原稿を執筆している現時点で、例の一件の真相は未だ闇の中で、処分や処遇についても不明のままだ。
 どのような調査結果が出て、クラブがどのような判断を下すにせよ、移籍市場が再開する来年の1月まで、テベスはシティの一員だ。マンチーニの構想から外れ、サポーターから罵声を浴びても、テベスはその針のムシロに座り続けていなければならない。
 いずれにしても、テベスとシティの結婚にハッピーエンドはない。神に祝福されたはずだった理想のカップルに待っているのは、苦々しい別れである。】 《この項・了》



《ワールドサッカーダイジェスト:2011.11.3号_No.350_記事》
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