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(秘)世界蹴球 紳 士 録_FILE:32 [世界のサッカー事情]

会長、GMなど サッカー界を動かす  エグゼクティブの 知られざる素顔 (代理人:ミーノ・ライオラ)
数々のビッグディールを成立させ、イブラヒモビッチを筆頭とする顧客に大幅な年俸アップをもたらす最強のエージェント、ミーノ・ライオラ。あまり語られて来なかったキャリアと人物像、そしてその交渉術に、スポットライトを当てる。

[ 顧客第一のポリシーは変わっていない ]
顧客のためならいかなる労も惜しまず、表から裏からあらゆる手練手管を弄して状況を動かし、移籍を実現させる。必要ならば憎まれ役になることも厭わない。その徹底したやり口から、業界内には苦々しく思う敵も少なくないが、その手腕には誰もが一目も二目も置く
 ミーノ・ライオラ。本名はカルミネだが、カルチョの世界ではもっぱら愛称のミーノで通っているズラタン・イブラヒモビッチロビーニョ(ともにミラン)、マリオ・バロテッリ(マンチェスター・C)を始め、派手な大型移籍をいくつも実現させてきただけでなく、各国1部リーグにオランダやブラジル、チェコなどの国籍を持つ有力選手を数多く顧客に抱え、その動向が常に注目される当代きっての敏腕代理人だ。
 1967年生まれの44歳。ナポリに近いカンパニア州ノチェーラの出身だが、1歳の時に両親に連れられてオランダに移住し、アムステルダム近郊のハーレムで育つ。サッカー界に足を踏み入れたのは、両親が経営するピッツェリアで働くうちに、ソコに集まるサッカー選手やクラブ関係者と知り合ったのが切っ掛けだ。地元のHFCハーレムで育成部門のスタッフとなり、90年代初頭にFIFAエージェントの資格を取って代理人に転身した
 代理人となった彼がまず取り付けたのが、プロサッカー選手協会と掛け合い、オランダの全選手のイタリアへの移籍を仲介する独占権だった。当時のセリエAは「世界で最も美しいリーグ」と称された全盛時代。給料の水準はオランダとは桁違いで、どの選手もイタリア行きを夢見ていた。まず92年にブライアン・ロイをアヤックスからフォッジャに移籍させると、翌年には当時の国内最大のスター、デニス・ベルカンプの移籍(アヤックスからインテルへ)を成功させる。特大の実績を作り、瞬く間にオランダの選手達の信頼を勝ち取った。それまでイタリアへの移籍ルートを仕切っていたコア・コスター(ヨハン・クライフのマネジャー)とアポロニウス・コニンブルグを、見事に出し抜いたのだ。
 ベルカンプを巡る移籍交渉の席で、ライオラがインテルに提示した条件は2つ。ベルカンプにチームで一番の給料を払うこと、そして、彼の親友でアヤックスのチームメイトだったヴィム・ヨンクもセットで獲得することだった。それさえ受け入れてくれれば、アヤックスと相場より安い移籍金で話をつけると持ち掛けたのだ。実際にライオラは、より高額のオファーをヨンク獲得に用意していたユベントスを押し退け、インテルとの話を纏めあげている。顧客である選手の移籍を何としてでも実現させ、高い年俸を勝ち取るというライオラのポリシーは、この時から今まで全く変わっていない
 そしてライオラは、当時フォッジャを率いていたズデネク・ゼーマンを足掛かりにして、チェコにネットワークを広げる。最初に動かした選手は、同国のトッププレーヤー、パベル・ネドベドだった。ラツィオでも、次の移籍先となったユベントスでも、ネドベドは常にその時点におけるクラブ最高の年俸で契約を交わしている
 次なるターゲットは、タレントの宝庫ブラジル。現地に事務所を置いて若い才能を発掘しヨーロッパに売り込むという手法で、マクスウェル(現パリSG)をアヤックスに、フェリペ(現フィオレンティーナ)をウディネーゼに10代で移籍させ、実績を積み上げた。
 とはいえ、最も太いパイプを持つのはやはりオランダ。取り分けアヤックスである。ロイ、ベルカンプに始まり、イブラヒモビッチ、マクスウェルからウルビー・エマヌエルソン(現ミラン)に至るまで、アヤックス出身の選手は勿論、09-10シーズンに指揮を執ったマルティン・ヨル監督(現フルアム)も彼の顧客だ。】

[ 「あのマフィアみたいにしつこいデブ」 ]
2年前の夏にはイブラロビーニョのミラン移籍を同時に実現。これでガッリアーニ副会長ライオラの信頼関係はより分厚いものに。
契約選手の中で一番の大物は、イブラヒモビッチである。彼がスウェーデンのマルメFFからアヤックスに移籍して来てから間もなく、二人は固い絆で結ばれた
 初めて待ち合わせた場所は、アムステルダムのホテルオークラ。颯爽とポルシェで乗り付けたイブラの前に現われたのは、ナイキのTシャツにジーンズ姿の「ただのチビデブ」だった。ところが話を始めたライオラは、
何様のつもりか知らないが、シーズンでタッタ6ゴールしか決められない選手をビッグクラブに売り込めるわけないだろ。世界一になりたいのか? それならポルシェやらロレックスやらは全部売り払って、本気でサッカーに打ち込め。そんなモノは世界一の選手になればいくらでも手に入るんだ。お前には才能がある。でも今のお前は並以下の、ダメな選手でしかない
 と、一喝する。そして、ポルシェを売ってフィアットに乗り換え、クラブのトレーニングウェアで過ごすようになったイブラに付きまとい、尻を叩き続けたのだ。その2年後にユベントスに移籍し、ソコからインテル、バルセロナ、ミランと渡り歩いて世界のトップ3に入るストライカーとなったイブラは、2011年に出版した自伝の中で、「俺を最強にしたのはあのマフィアみたいにしつこいデブ」と、愛情を込めて語っている
 そのイブラをメガクラブからメガクラブへと移籍させ、年俸を雪だるま式に増やした手腕は語り草。アヤックスからユベントスに移籍させた際には、リヨンやモナコがより高額の移籍金(2000万ユーロ=約22億円)をオファーしたにもかかわらず、当時ユベントスの強化責任者だったルチアーノ・モッジと結託してアヤックスを揺さぶり、1200万ユーロ(約13億円)での取引きを成立させた。その差額の多くがイブラの年俸に回ったことは言うまでもない。ユベントスからインテルへの移籍は、一度は合意に達していたミランを最終的には袖にして実現。バルセロナへの移籍は、インテルにチャンピオンズ・リーグ優勝を可能にする戦力を揃える資金(+サミュエル・エトー)を、イブラには1200万ユーロという破格の年俸をもたらした。そこからタッタ1年でミランに移籍させた折には、逆に2400万ユーロ(約26億円)という大バーゲンの移籍を、しかも3年分割で支払うという条件をバルセロナに呑ませる強(したた)かさを見せている
 ミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長はこのディール、そして同時並行で実現したロビーニョの移籍交渉(マンチェスター・Cとの)を通じ、ライオラの手腕に惚れ込み、今ではお気に入りのコンサルタントであるエルネスト・ブロンゼッティを上回るほどの信頼を寄せている。カルチョの世界でも指折りの“古狸”として知られるガッリアーニから、これだけの評価と信頼を得るのは、一旦選手を移籍させると決めたらなり振り構わず、あらゆる手を使う剛腕を持っているからこそ。値段を決め、移籍先を探し出し、双方のクラブに何度も足を運んで、揺さぶり、駆け引きをし、なだめすかし、時には脅しを懸けながら説得し、契約の詳細を詰めるまで、全てを自らの手でお膳立てする。誰に嫌われようが、どんな評判が立とうが、全く意に介さない
 2年前にバロテッリをインテルからマンチェスター・Cに移籍させた時もそうだった。恐らく彼も、イブラと同じように後一つか二つのメガクラブを渡り歩き、その度に年俸は、吊り上がっていくのだろう。】




《ワールドサッカーダイジェスト:2012.6.7号_No.364_記事》
{{月2回刊:第1・第3木曜日発売_全国書店・コンビニ}}




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